この記事は、無職の際の罪悪感についての体験談を集めたものです。
様々な背景や状況での無職の験が紹介されていて、それぞれの体験者が
・どのように罪悪感を感じ
・どのようにその罪悪感を解消しようとしたのか
が詳しく語られています。
考えさせられるポイントとしては、3つあります。
ポイント
・無職の状況はどのようなものか?
・罪悪感を感じる人と感じない人の違いは何か?
・どうすれば無職の罪悪感が解消されるか?
他人の経験談を読むことは罪悪感の解消に効果的です。
他の人の意見を取り入れることで、自分の状況を客観的に見ることができます。
あなたがもし無職のことに関して罪悪感を感じているのであれば、似たような経験を持っている人を見つけてヒントをもらってみてください。
無職のときに罪悪感があった人の体験談
関係ないのにごめんなさい
女性 会社員 無職の年齢:20歳
罪悪感あり
体験談
アルバイトしていた時のバイト仲間がいたけど、もともと仲良くない人が1人いて、いつでもグチグチグチグチ言ってきてうるさかったから、さすがにイラッとして言い返したら2人同時に店長に注意されてさらにイラッとした。自分が言い返した理由を説明したら分かってくれたけど、別の日仲悪い子もいたけど気にせず仕事してたら、仲悪い子の兄弟とやらが来て「俺の妹をいじめるなー」「いじめるやつはやめろー」と店長に直談判してきたみたいで店長に申し訳ないと思って自分から「辞めます」と言って辞めました。ただ後日店長から連絡きて「仲悪かった子も辞めたから戻ってこない?」とありがたい話だったけどお断りして今はお客さんとしてお店に行ってる
罪悪感を解消した方法
やっぱり2人の問題なのに店長にはすごい迷惑かけてしまってたなぁってすっぐい罪悪感があった。巻き込んでしまった!というか、なんというか。ほんと申し訳なかったなって言う気持ちがあの時はすごかったかな。やっぱりいろんな人に迷惑かけてしまう前にもっと対象出来てればと。解消方法は日々のストレスを聞いてもらったりとにかく溜め込んでる事を全部一気に話してみたりして少しずつだけど解消させる感じかな。ただストレス発散してもバイトにいけばまたストレスたまるからほぼ毎日のようにストレス発散して過ごしてっていう感じでした。まぁ話を聞いてもらうだけで全部とストレスが発散できたわけじゃないけど聞いてもらえてよかったかな。
効率良い稼ぎ方になった体験
男性 会社員 無職の年齢:28歳
罪悪感あり
体験談
職場で上司からパワハラを受けたことにより退職をして無職になりました。それからクラウドソーシングや株式投資をしてから資産を増やすことに力を入れました。パワハラの内容は仕事を始めから教えて貰えずに何も出来ずにいたら侮辱されたので退職を決断しました。取締役も黙認して私が全て間違っているかのように話していたのでこの会社で働き続けるのは自分のためにならないと決断したので退職をしました。自分で働いた方が効率良く稼げると判断して今の生活を送っています。クラウドソーシングや株式投資をして良かったと思いました。副業を本業にしたら自分にとって効率良く働けたので満足しました。劣悪な環境から抜け出せて良かったと思いました。
罪悪感を解消した方法
副業を本業にしたら自分にとって効率良く働けたので満足しました。劣悪な環境から抜け出せて良かったと思いました。罪悪感は無かったです。職場で上司からパワハラを受けたことにより退職をして無職になりました。それからクラウドソーシングや株式投資をしてから資産を増やすことに力を入れました。パワハラの内容は仕事を始めから教えて貰えずに何も出来ずにいたら侮辱されたので退職を決断しました。取締役も黙認して私が全て間違っているかのように話していたのでこの会社で働き続けるのは自分のためにならないと決断したので退職をしました。自分で働いた方が効率良く稼げると判断して今の生活を送っています。クラウドソーシングや株式投資をして良かったと思いました。
双極性障害がわたしに教えてくれたこと
女性 無職 無職の年齢:25歳
罪悪感あり
体験談
東京で雑誌の記者をしていましたが激務による心身の不調を感じて退職しました。地元に戻り、より心身に負担の少ないホテルのフロント業務に従事しましたが、病状が悪化してしまい、大きな病院で双極性障害の診断を受けました。その後5回ほど転院を繰り返ながら約5年間入退院を繰り返しました。社会復帰のため自立訓練を経て、現在はB型作業所に通っています。
発症入院当時は自分の身の回りのことをするのがやっとで働ける状態にはなく就職や仕事のことを考える余裕すらありませんでした。
長い時間をかけゆっくり治療したおかげで、今年に入りようやく心身が安定しいまは少しずつ前向きに生きています。
働きたいという意欲も出てきて社会復帰に向け作業所に通う日々です。
罪悪感を解消した方法
私の場合罪悪感もありましたがそれよりも焦りが強かったように思います。周りが働いているのに、何もできない自分がとても悔しかったです。金銭面の不安も強く、家族に迷惑をかけたくなくて、早く働きたいという気持ちがありました。しかし治療が長引くに連れ、そういったことを考える余裕や気力もなくなっていきました。働かざるもの食うべからずという言葉がよく頭をよぎりました。でも最近ようやく体も心も健康でいられて初めてきちんと働けるのだと感じました。まずは生活ベースを整える。家事や家のこと、食事や睡眠などの健康管理。そこから整えて、それができるようになったら働くことを考える。常にいまの自分にできることから始めようと意識を変えました。
育児は無職とは違う?
女性 自営業 無職の年齢:35歳
罪悪感あり
体験談
出産をきっかけに退職したが、いざ子供達が幼稚園に行き始めると、時間に余裕があることに気付きました。1人は幼稚園、1人は自宅と育児はありましたが、四六時中、一緒にいて見ていないといけないわけではないし、夜は早く寝るので時間があまっていました。何かできるのに、この無生産な状況が耐え難かったです。子育てという偉業があるけれど、それでも何かできるはず!でも、この状況を望んだのは自分!という葛藤がありました。「無職」とは違う気もするけど、何かできるのにただただ消費するだけの生活が辛かったです。友人に昼夜逆転の専業主婦がいますが、彼女の心理がまったくわからなかったです。よくこの無生産で社会に何も貢献していない状況で生活できるな、と軽く鬱々していました。
罪悪感を解消した方法
子供達には私がいないとダメだし、子供が小学生の内は家にいてあげたい、と望んで退職したのにもかかわらず、無生産な状況に耐え難かったので、パートや内職などを考えました。子供達と出掛けるにも買い物するにも、やはりどこか後ろめたさがあったからです。でも、仕事のために家を出てしまったら、当初の目的から外れてしまうので、なんとか在宅でできる事はないかと考えていたところ、もともとPCスキルはある方だったので、PC作業の在宅業務の話が入ってきました。昼間は子供達と、夜は自分の時間として仕事をするという最高の話でした。やってみて、眠気との戦いだったし、リモート作業なので、意思疎通が上手くいかなかったりといろいろ苦労はありましたが、「無生産」と感じていた自分からは脱却できたので、よかったです。
無職だけど、毎日なんとか頑張ってる私
女性 主婦 無職の年齢:51歳
罪悪感あり
体験談
専業主婦をしながら、イラストを描いて少しではありますが、お金を頂いております。ここ2ヶ月程、イラストの仕事がなく、コンペに参戦しても落選しました。なので、今現在、無職を感じています。このまま落選が続いたら、パートに出ようかと考え中です。絵の上手い人は沢山いらっしゃるので、仕方ないなと思っていますが、まだどこかに諦めきれない自分がいて自分が嫌いになりそうです。家族のために家事を丁寧にやっていますが、自分でも少しは稼がなくては、旦那に申し訳ないなと、罪悪感が沸き上がります。家のローン、子供の学費、高齢の両親のことが心配です。物価は高騰し、税金は今後上がりそうなので、最近話題になっている定額減税はありがたいですが、貯金に回します。
罪悪感を解消した方法
毎日節約を心掛けています。自分のお昼は残り物を食べています。あえて買うことはありません。洋服等は、必要最低限のものを揃え、流行物には振り回されないです。もともとあまり物欲が無いので苦労はありません。罪悪感は家を綺麗に保ったり、作ったご飯が美味しい!と言われることで、少しは和らぎます。ただ、旦那さんが心の病気になっていて通院しながらなんとか会社勤めをしています。定年までまだ十数年は働かなくてはならないので、毎日の心をケアが大変かな?パートに出てもよいのですが(雇っていただけるか?)、旦那さんの心がバランスを崩すと大変なことになるので、私が仕事に忙しくなると心配です。イラストの仕事が忙しい時に、旦那さんが心のバランスを崩したこともあったので、外に出て仕事をすることに躊躇している自分がいます。
人生の節目と休養、変化のための期間
女性 会社員 無職の年齢:28歳
罪悪感あり
体験談
今から8年前のことになりますが、転職を繰り返した末に退職して実家に戻った経験があります。
実家に戻ってからは半年ほど無職でした。
その後アルバイトを始めたのと、家業を時々手伝っていたので、全く働かずに何年も過ごすことはありませんでした。
退職してすぐは安堵の気持ちでいっぱいでした。
元々資格試験の勉強をしていたため、特定の業種に固執してアルバイトや正社員含め職を転々としていたのですが、転職エージェントに急かされるようなかたちで無職になる直前に勤めていた会社に入社しました。
慣れない事務職と週休基本一日のシフト、人間関係に限界を感じて入社三ヶ月ほどで辞めています。
「二度とあの職場に行かなくていい」という思いが強く、再就職に対する不安などはあまり感じませんでした。
罪悪感を解消した方法
周囲と比較した際に少しだけ罪悪感に似たものを感じたかもしれない、という程度です。
実家の引っ越しがあったため、それを言い訳にしたり家業を手伝おうとしたりしました。
あまり積極的に友人の集まりに参加したりはせず、一人で出かけてストレスを解消していた気がします。
実家の引っ越しに集中し、親に任せず自分でできることは自分でやっていたため、気が紛れた側面もありました。
資格試験の勉強は燃え尽きてしまって視野に入れてなかったのですが、いずれまた何か勉強を始めたいと考えていたと思います。
就職に関しても、求人情報はほとんど見ていませんでしたが、目にとまったバイト募集の張り紙にすぐ応募していたので、またすぐに働きたいと言う気持ちは持っていました。
生きづらさの原因が障がいのせいだった話
男性 無職 無職の年齢:38歳
罪悪感あり
体験談
社会人になり組織に属するようになってから、学生時代にはあまり感じていなかった生きづらさを感じるようになった。もともと人付き合いが下手で、友人は数名いたが、歯にきぬ着せぬ物言いや少し変わった考え方、行動により疎遠になる人はかなりいた。しかし、勉学は人並みに出来ていたし、部活動でもある程度成績が残せていたため、概ね問題なくどちからというと優等生として日常生活は送れていた。社会人になり、学生時代にはなかったスケジューリングや、アポ取り、ノルマ、長期目標の設定など雑多なことが必要になり、それらが自分にとってはかなり難しかった。何度か転職を繰り返したが、どの仕事でも人間関係や、仕事のミスにより、居場所がなくなり退職を繰り返した。正直情けない気持ちになったし、自分を責めもした。
罪悪感を解消した方法
最後に退職したのが数か月前だったが、在籍中にまた人間関係や仕事のミスを重ね、さすがにどこかに助けが欲しいという思いが強くなっていた。自分に似ている人物や症状を書籍やネット記事などを見て探した。ヒットしたのは「発達障害」「ADHD」という、先天性による脳の発達の偏りが原因の症状だった。改めて精神科を受診し、やはり発達障害であるということが分かり、これまでの失敗が自分の努力や頑張りが不足していることが原因ではないことが分かった。両親に相談したこともあったが、「お前の頑張りが足りない。」「お前が我慢すればよいことだ。」等言われ傷ついたこともあったが、現在は仕方のないことだったと割り切り、改めて障がい者手帳を取得し、自分に合う働きかたを模索中。何をやっても上手くいかない自分の生き方に罪悪感があった時もあったが、現在は感じていない。
家の中でも気疲れは消えないなぁ
女性 主婦 無職の年齢:30歳
罪悪感あり
体験談
短大卒業後に正社員として老人ホームで福祉のお仕事をしていましたが、夜勤が絶対ある環境で、月に4回ほど夜勤が入っていました。だんだん夜勤明けに眠れないことが続いて、頭痛が止まらない、めまいがするなど体調がおかしくなってきて、退職しました。その時に一度無職になりましたが、体調をよくすることを目的にゆっくりしていました。その後体調も良くなってきたので販売職で4年ほどパートを続けておりましたが、結婚し、出産のタイミングで退職しました。またパートに戻るつもりでしたが、連続で出産になったのと、子育てが私にとって思いのほかしんどかったときに、夫がうつ病になり、助けてくれない環境になってしまったので、しばらくの間子育てをワンオペで行い、無職のままでした。
罪悪感を解消した方法
働かないことで罪悪感はありましたが、一回目の介護職を退職したときは罪悪感よりも体調を整えないと生活ができないような状況だったのと、まだ実家に住んでいたので、家賃や食費など大きく負担がなかったので、あまり罪悪感はなかったように思います。ただ、通院している時に職場の人とたまたま出会ってしまうこともあり、体調どう?と聞かれたりすると自分が抜けてしまったことで他の職員が大変な思いをしていると思い、正直しんどかったのを覚えています。出産後に無職になったときは罪悪感は少しありました。働けていないことで家計にお金を入れられないですし、夫が生活費を入れてくれる中でやりくりするのも、ときどきこんなに使ってしまってよいのだろうかという罪悪感はあり、しんどいと感じていました。なので、友人と気晴らしに食事をするときは以前私が働いたお金で支払うようにして、罪悪感を消していました。
ポジティブ人間初めての挫折
女性 主婦 無職の年齢:37歳
罪悪感あり
体験談
独身時代、コロナ禍も落ち着いてきて心機一転で県外へ引っ越しをし、派遣アプリを見ていてやりたい仕事があったので応募し面接。絶対採用されると思っていたところで不採用。まさか!?という衝撃で絶望でした。でもしばらくは引越したお家の荷解きや手続き、家具の購入で色んなお店をはしごしたりとやる事は沢山ありました。その時期は4月で周りの引越しシーズンと被り、冷蔵庫や洗濯機を電気屋で購入したものの届くのに1週間から10日かかったのもしんどかったです。そして仕事も決まっていないので貯金を崩す日々。これには、いつも思い立ったら即行動!なんとかなる!の私も、少し甘かったかなぁと意気消沈していたのは確かです。でもひとりでやっていくしかないのでなんとか頑張りました!
罪悪感を解消した方法
元々前に住んでいた土地は小さい島で地域密着!っていう感じの場所で、ダブルワークが普通の生活だったし、休みの日は友人と遊びに行くなど1日家でゆっくりする!みたいな時があまりない生活をしていました。なくてもいいと思っていました。
夜の飲み屋の仕事がメインで、昼間は知り合いの飲食店の手伝いをゆるくやったり、また季節限定のアルバイトの声がかかったらそっちもいったり、選挙のうぐいす嬢のアルバイトもしたり。とにかくお金を稼ぐと言うよりかは人と関わるのが好きだったし、声を掛けてくれるのが嬉しくて自分にお手伝いできる事があるなら喜んで引き受けていました。
なので新しい場所に引越ししてからは周りに頼れる人も居ないし、こんなにも人と関わっていない喋っていない日々が自分にある事にダメ人間になってしまったかのようにどんどん罪悪感が生まれていきました。
敢えて外に出ることで、スキルアップしました
男性 会社員 無職の年齢:37歳
罪悪感あり
体験談
勤めていた会社が問題を起こしたときに、会社のやり方に納得ができず、自主退社をしました。ハローワークでは、会社に問題があることが認められて自主退職ですが、待機期間なく失業給付金の給付が認められました。ただ転職先を決めずに退職をしたため、退職後に転職活動を始めることになりました。結婚をしていましたので、妻には申し訳なく感じました。共働きでしたので、生活費に困るということはありませんでしたが、やはり仕事をせず自宅にいることに罪悪感を感じていました。また基本怠け癖のある性格なので、意識しないと自宅に引きこもるようになると思い、自分でルールを作り、できるだけ外に出るようにしました。受給期間中に職業訓練を利用したりして、次の仕事につながるように思えることを、何かしらするようにしていました。
罪悪感を解消した方法
ネットで自宅でも求人検索できましたが、敢えてハローワークに行って検索するようにしました。そのため、ほぼ毎日ハローワークに行っていました。時々は近隣の市のハローワークにも行ったりしました。
当時は今ほどネットの情報が多くなく、実際に現地でないと知ることができない情報があったと思います。また、現地にいるから、すぐに行動に移すことができたと思います。そこで知った職業訓練や、イベントがあれば参加していました。そのおかげで無職で無為に過ごしている罪悪感を和らげることができたと思います。
その後数回転職をしましたが、この時の職業訓練のことが理由で採用になったことは、ないと思いますが、業界を選んだり、履歴書に書くことなど、方向性を定めるのに職業訓練が役立ったと思っています。
時が解決してくれた家族への罪悪感
女性 主婦 無職の年齢:24歳
罪悪感あり
体験談
通勤途中で体調不良になってしまい、会社に連絡をしました。2回くらい続けて同じことが起こりました。体調不良は、電車酔い、満員電車による人酔いなのですが、月に2回も体調不良になり、遅刻する人はいないと言われ、退職を迫られました。
今でもよくわかりませんが、本当にこのような理由で社長と話をする機会が設けられ、そのまま秘書の方に部署に連れていかれ、机の片づけを迫られました。
それまで特に変わったことは起きていません。私が体調不良になるまでは、任された仕事をこなし過ごしていました。突然社長による会議という名の不満大会が起きたりもしました。また親族の葬儀で休みを取得した社員に対してひどく叱責するような社長の言葉を聞き、ブラックな会社だなという印象は持っていました。
退職した時、会社に洗脳されている部分もあったので、すごく今後に不安を抱きました。
ただ、実家に戻ったときにあまりにも自分がやせ細っていたようで、家族や古くからの友人にひどく心配されました。
罪悪感を解消した方法
大学を出て初めて就職した会社なのに、すぐに退職してしまったことがすごく苦しかったです。
退職と同時に実家に戻る決断をしましたが、実家で何もせずに過ごしていることが申し訳なかったです。
そんな気持ちを抱く一方で両親は早く仕事についてほしい気持ちがあったのか、車を購入するなどの援助を申し出てくれました。
田舎で仕事に就くためには確かに一人一台くらい車を所有する必要がありますが、申し訳ない気持ちが増してしまいました。
毎日悲しくて、つらくて、普通の仕事は私にはできないのではないかと思い、マイナスな気持ちをずっと抱くようになっていました。
1,2か月くらい経った頃、いろいろな人に出会い、少しずつ働いていた会社がおかしいということを理解できるようになりました。それから、自分に非はあったのかどうかということを考えられるようになっていきました。
整理がつくようになってから、友人に仕事を紹介してもらい働くようになると、やはり私自身には問題はなく、会社の方が悪かったという気持ちが出てきました。
そうしているうちに家族への申し訳なさや罪悪感は少しずつ減っていきました。
私の長期間失業体験記
男性 会社員 無職の年齢:47歳
罪悪感あり
体験談
私が一番無職の期間が長かったのは、私は34歳の時でした。
当時は5か月も無職の状態が続きました。
その間、数十社も応募しましたが、私は元々コミュニケーション自体苦手であり、
それが不利になって、面接で落とされまくりました。
(それ以外でも年齢の割にスキルが低いからという理由もありましたが)
失業保険をもらってなんとか生活できましたが、
早く転職先を決めたいという気持ちは変わりませんでした。
仕事は忙しいことが多かったですが、仕事がなくなったからといって気は楽になりませんでした。
なんとか、5か月たってやっと転職先が決まりました。
最初は給料が前職より下がりましたが、やっと抜けられた、自分なりに頑張った気持ちが強かったです。
罪悪感を解消した方法
とにかく退職の原因、面接で落とされた原因などをメモに書き、その失敗を次につなげるように対策しました。
ネットなどでどうすれば転職に成功するか調べまくりました。
それだけでなく、失業したことを誰にも隠さずに言うことにしました。
神経質になるくらい、いろいろ対策していました(とはいえ、そればかりでは疲れるので時々休みました)
また、できるだけ家族に相談し、普段言えなかったことを言うようにしました。
そして転職サイトにもいろいろアドバイスを受けまくりました。
上記のことで、罪悪感を解消しました。
すぐには成功しませんでしたが、とにかく諦めませんでした。
長い月日がかかってしまいましたが、その結果、転職先の決定につながったと思っております。
転職に失敗したものの末路
男性 会社員 無職の年齢:35歳
罪悪感あり
体験談
12年ほど勤めた自動車部品メーカー工場の先輩に誘われ、営業職として転職をしました。これまでは工場設備の保守管理の仕事でしたので全く新しい挑戦となりました。
不安は大きかったもののリターンの望める仕事ということでとても期待感がありました。
実際に営業の仕事を初めて見ると、予想に反し顧客の冷淡な対応、取れない数字、結果が残せないために毎日深夜まで続く教育といった慣れない世界に馴染めずおよそ半年で営業職を退職しました。
家族がいるため次の仕事が決まった状態で退職すべきでしたが精神的に疲弊していたためこのような辞め方をしました。ここで無職となりました。無職期間は約半年間続きました。
退職後は焦りと不安の中で再就職先を探しました。
なかなか通らない書類選考、書類通過しても面接で落とされる日々、応募した企業は20社ほどとなりました。
罪悪感を解消した方法
どうあがいても罪悪感は拭えませんでしたので無職期間中は子供たちの送迎や家事を少しでも行うことにしていました。
どうにもやりきれない気持ちになった時は昼間の誰もいない時間の1、2時間だけ趣味に没頭するようにしました。
その時間だけは悩みを忘れることができたと思います。
ただし、どうしても現実に戻れば同じように罪悪感は戻ってきてしまいます。
なるべく家族と過ごすようにいたしました。
家族も気を使ってくれていたと思います。
なるべく仕事やお金の話はしないようにしてくれていました。妻や子供たちには感謝の気持ちしかありません。
今は再就職も決まりまた製造現場に戻りましたが、同じ過ちは繰り返さぬよう身を引き締めて仕事に取り組んでいます。
ブラック企業からホワイト無職へ。
男性 会社員 無職の年齢:24歳
罪悪感あり
体験談
とあるPCソフトの営業職に就職しました。しかしそこはかなりの体育会系。契約取れないなら帰ってくるなという定番のパワハラフレーズを平然と使ってくるような会社でした。一か月経ちろくに教育も受け切れていないのにも関わらず、エリア担当となり飛び込み営業。終電で帰り始発で出社。帰りの電車の中では反省文。行きの電車の中では意気込み文を書く毎日。3行ないと全員の前で怒鳴られる。心身ともにボロボロに。もう無理だと思い退職を決意。あっさりと辞表は受理されましたが、その月取った契約の報酬はゼロ。○○賞とかそういった賞金もゼロになるということ。それでも良いと思い何も要らないから辞めさせてほしいと伝えました。こんな会社が利益を出しているという恐ろしい現実を知りました。
罪悪感を解消した方法
今思えば、何に対しての罪悪感か分かりません。採用してくれたブラック企業の社長に対しても申し訳ないと思っていましたし、当時付き合っており、婚約中の彼女に対しても申し訳ないと思っていました(その後破局)。解消した方法は、無になり遊ぶことです。ここでの遊ぶというのはギャンブルや異性に対してではなく自分の没頭できることに集中して遊ぶということです。読書したり、趣味の時間を増やしたり。貯金だけで1年なんとか過ごしました。人間にとって自分を保てる場所というのは本当に必要だと実感できる出来事でした。そうこうしているうちに心の中の罪悪感は薄れていき、前向きに生きられるようになったと思います。ただ、ブラック企業にいる時はその現状が”おかしい”とは思いもしませんでした。婚約者と破談になったあと、感覚が麻痺していたことに気付かされました。
病は気から、だけではないこと
男性 自営業 無職の年齢:24歳
罪悪感あり
体験談
クリエイター系の専門学校に入学したが、自分の能力が伸び悩み、ポートフォリオにも満足な作品が載せられなかった。
また、自分の中での線引きがあり、クオリティの低い作品を載せることに忌避感があったことも大きな要因のひとつだった。
そのため、30社以上に応募したがほぼすべて書類・ポートフォリオ選考で落ちてしまい、ずるずると無職になる。
自分の能力の低さと、目標の高さが乖離したことによって、どうにもならなくなったことに悔しさを感じた。
その後、親との確執により躁鬱病を発症してしまう。
この病気が原因で、創作活動に影響が大きく出てしまい、その後の就職活動が不可能になった。
また、クリエイターの精神障害者雇用は当時少なく、その枠組みでも就職できないことに辛さを感じた。
罪悪感を解消した方法
親との確執で発症した躁鬱病は、躁よりも鬱の割合が高く、創作活動ができなくなっていた。
特に、ほぼ寝たきりの状態が一定期間あったこともあり、何もしないうえに多額の病院通院費用がかかる無職に成り下がった。
このことから、学費を出してくれた親への後ろめたさはあったが、病気の発症原因であることも関係して、気持ち的には相殺されたような状態だった。
結果として、ずるずると無職期間が長引いたことにより、当時付き合っていた彼女とも別れることになる。
日々何もしないという罪悪感の絶望感に潰されかけながら、躁状態になったタイミングでのできる限りの創作活動で正気を保っていたように思う。
自身にとって、創作活動は毒でもあり薬でもあったことは間違いない。
地獄のオエオエ就職活動期間
女性 会社員 無職の年齢:24歳
罪悪感あり
体験談
大学を卒業した後も就職先が決まらず、無職を経験しました。卒業前からお世話になっていたバイト先で正社員になるという話もあったのですが、その職場の人間関係や業務内容への不信感からその選択は取りませんでした。無職だった私に金銭援助をしてくれる親への申し訳なさや、社会が自分を必要としてくれていないと感じる事への絶望感で毎日辛く悲しかったです。当時はとにかく必死で「内定を貰うこと」にばかり意識が向いており、仕事を通して何を果たしたいのかなど全く見えていませんでした。それでもこの先の人生で結婚や病気といった人生のイベントが起きた時に、色んな選択が取れるように諦めず最後までやり遂げようと就職活動を続けていました。
罪悪感を解消した方法
自分自身で生計を立てられず親に迷惑をかけていることへの罪悪感が強かったため、単発のアルバイトをいくつか入れることで罪悪感を解消しようと努力しました。工場バイトやイベントスタッフなど、今までやったことの無いタイプの仕事を経験して何とかその月やりくりできるだけの金額を稼ぐようにしていました。それでも、周りの友達が楽しそうに遊んでいる姿と比較して罪悪感をさらに強めてしまいすごくしんどかったです。なので、まずは自分自身がどうして就職したいのか?仕事を通して何を成し遂げたいのか?なぜそれを成し遂げたいのか?などの自己分析を改めてすることにしました。遠回りになってしまったけれど、自分自身を深く知ることでどんな職場が自分に合っているのかを知ることで職場探しが楽になりました。その結果罪悪感も次第に薄れていき、焦りも落ち着いたタイミングでようやく就職が決まりました。
受け身すぎのツケがまわってニートの運命に
男性 無職 無職の年齢:24歳
罪悪感あり
体験談
自分は一旦進路未定のまま大学を卒業して、自閉症の診断をもらってまで自称発達障害者として、障害を持った人の為の職業訓練に通ってから就労する選択をしました。しかし、その選択はあまりにも無意味過ぎた他、コロナによると思われる皆様のマスク差別のおかげで就労難に陥り、わずかな望みとなった、職業訓練のスタッフからの紹介で知った求人に限って応募が断られるといった不測の事態が発生しました。そして更に、職業訓練に通えるのは最長で2020年までの契約で、延長もせず、2020年の終わりと同時に職業訓練をドロップアウトしました。こうして、自称発達障害者として障害を持った人の為の職業訓練を経て就労する選択が空振りに終わってニートになりました。そうなったのも、ある意味ムダな行動のツケがまわったことの自業自得でもあり、マスク差別が感染対策として正当化されるほど狂った人間社会への反骨精神からこのような運命を迎えたこともあって、別に無職になったことへの後ろめたさはあまり感じませんでした。
罪悪感を解消した方法
自分が自閉症の診断をもらってまで自称発達障害者として、障害持ちの人が受けられる公的サービスを受けていたことから、役所や職業訓練のスタッフに自分の障害に関する事実と異なる情報を押し付けて、身体障害者の就労の機会を奪うことをした他、経済的にズルを犯したので、中々大きな罪悪感を感じました。あまりにも罪悪感が大き過ぎて、何をしても解消につながりません。それどころか、そうなったのも自分のことを発達障害持ちの人だと決めつけて操り人形のように扱う家族の過干渉の影響もあってか、無気力になりがちです。ただ、無職になった後に、クラウドソーシングやポイントサイト、アンケートモニターを利用して軽くでも稼ぐ努力をしたことや、職業訓練に通うために必要な証明書や障害者手帳などを役所に返還して取り払ったことは罪悪感の軽減につながるような良かった点とも言えます。
堕ちた幼稚園バス運転手
男性 会社員 無職の年齢:26歳
罪悪感あり
体験談
幼稚園バス運転手をしていたが、やや寝不足だった所に随伴する園長先生の口が臭過ぎて具合が悪くなり、誤ってサイドミラーを電柱に当ててしまった。
最後の園児が一人だけ乗っていたため理事長に報告せざるを得ず、園長も後からムチ打ちを訴え、そのまま二人から自己都合退職するよう推し進められた。
理事長と園長が夫婦なのだが、恐ろしく仲が悪かった上に双方の間で板挟みになっていたので長くはないと思っていたし、良い機会だとは思ったが、バスの修繕費だかで結局退職金の半分は持っていかれたのと園児たちに会えないのが心残りだった。
辞めてしばらくして気付いた事だが、かなり精神的に参っていたようだ。
実家に帰ったら雪かきも雪下ろしもせず無心でかまくらを作ったり、親戚の葬儀で延々と携帯ゲームをしたりと人としてどうかと思う行動をしていた。
罪悪感を解消した方法
解消は出来なかった。
事故は自己責任だし。
それでも気晴らしに女遊びへ走った。
地域のコミュニティーでオフ会の主催者として活動したりしながら人脈を拡げて女の子達と遊びまくった。
何せ幼稚園の先生は入社前から全員彼氏持ちだったので誰とも上手くいかなくてフラストレーションが溜まっていたのもある。
ってーか幼稚園の先生って恐ろしく気の強い人しかいない。本当に優しげな先生は1年で辞める。あれを目の当たりにすると恋愛的にどうこうしようという気にはなれない。
未だにクソジジイ(理事長)とクソババア(園長)さえ居なきゃ多少給料安くてもずっと働いてたのにと思う。休みは多いし。
でもあそこにずっと居たら女子高生と付き合って結婚するなんて事にはならなかったので結果オーライ。
自分で作る心地よい社会
女性 会社員 無職の年齢:24歳
罪悪感あり
体験談
人間関係と働いても上がらない給料に疲れてしまい、仕事を辞めました。特に次の仕事も決まっていなかったので、とにかく家から一歩も家から出ず、ゲームばかりしていました。初めは何も思っていませんでしたが、途中から社会と切り離されているように感じました。今日の天気も分からなければ、今日何が起こっているかも分からない。携帯のニュースやSNSもその時は見ていなかったので、何が起こっているのかは、全く分からない状態でした。
一日中ゲームをして時間が経っていく、、、何をしてるんだろうかという感情が大きくありました。同い年の人はバリバリと働いているのに、自分は今この瞬間何をしているのだろうかとある意味で病みました。
罪悪感を解消した方法
罪悪感というよりは、上記でも書いたように、私は1日をこんなに無駄にして何をしているのだろうかという思いが強かったです。その想いを払拭するために、携帯のアプリからバイトや派遣を探し始めました。バイトなら休みたい時にシフトを組めるし、派遣なら時給がよいところがたくさんあるからです。職探しに疲れてしまうとまたはたらきたくなくなってしまうので、面接をオンラインでできるものに絞りました。面接をしていくうちに、少しずつ罪悪感は消えていったと思います。無事派遣がきまり、働き始めてからは、収入が入る方により、心が安定しました。社会とのつながりは本当に大切だなと思いました。誰とも喋らない1日を過ごすということもなくなったので、罪悪感も消えました。
生まれてから失敗だらけの人間の価値0モンスター
女性 無職 無職の年齢:46歳
罪悪感あり
体験談
私は生まれてから人間関係には全く恵まれません。幼い頃からいじめ当たり前。友達や恋人すらもいません。おかげで結婚もしたことがありません。就活も失敗します。せいぜいアルバイトや派遣だけで精一杯です。それも私は努めても人間関係は全く恵まれていません。ほとんどパワハラの標的にされるからです。何度も死を考えています。それも私の勤め先もみんな潰れています。まさにいま無職です。
私はなぜこれを書こうとしてるのかというと、今までの人生が本当にどん底だからです。貯金もスマホ代や国民年金で損して底をついてます。だから最初は少なくコツコツでもいいから副業を使って仕事がしたいです。このアプリで少しでもいいからスキルを身に着けて本当に儲ける仕事がしたいです。
罪悪感を解消した方法
私は生まれてからこの顔と性格と体型で生きてきた。この顔に生まれたから罪悪感はもうありまくりですね。小学生の頃に男の子と遊んでも結局失敗ばかり。逆にこの顔だからイジメは当たり前。それは中学生の頃も高校生の頃も
男の子に好かれないどころか、いじめは当たり前。もうすでに子供の頃から罪悪感はあるから解消したいけどすぐに失敗する。
これが大人になっても私は存在するだけで世の中の迷惑な存在、パワハラの標的にされるわ、婚活しても失敗するわ、私の勤め先が潰れるわ、今でもモンスター扱いされ、自分が生まれてこなければよかったと思います。今でも苦しんでます。だから自分は生きてることすべてが罪悪だと思います。
解消できること?全くありません。自分の存在を消したい、つまりは存在を消したい。要するに「シ」ですね
「無職からの再出発と自己成長」
男性 会社員 無職の年齢:29歳
罪悪感あり
体験談
29歳の時、私は突然無職となりました。原因は、会社の業績悪化によるリストラでした。その知らせを受け取った瞬間、頭が真っ白になり、しばらく現実を受け入れられませんでした。
最初の数日は、ショックと不安でいっぱいでした。将来への不安や、生活費をどうするか、家族に対する責任など、考えることが多すぎて、眠れない夜が続きました。また、自己価値感が低下し、自分のスキルや経験に対する自信も失ってしまいました。
しかし、少しずつ前向きに考えるように努めました。まずは自分のスキルや経験を整理し、新たな方向性を見つけることに集中しました。職業訓練やスキルアップのためのオンラインコースに参加し、自己投資に時間を費やしました。
また、ネットワーキングイベントや同業者との交流を積極的に行い、転職活動を進めました。最初は厳しい現実に直面しましたが、諦めずに努力を続けた結果、最終的には自分に合った新しい職場を見つけることができました。
無職の期間は、自己成長と再評価の機会でもありました。困難な状況を乗り越えたことで、自分の強さや適応力に気づくことができました。この経験を通じて、人生の中で予期せぬ困難に直面した時でも、前向きに取り組むことの重要性を学びました。
この時期は決して楽ではありませんでしたが、自分を見つめ直し、新たな道を見つける貴重な機会となりました。これにより、将来的なキャリアに対する視野が広がり、より充実した職業人生を歩む基盤が築けたと感じています。
罪悪感を解消した方法
29歳の時に無職になった際、罪悪感がありました。家族や友人への責任を感じ、特に家計への貢献ができなくなることに対して強い負い目を感じました。この罪悪感を解消するためには、いくつかの方法を試みました。
まず、家族や友人とオープンにコミュニケーションを取ることが重要でした。自分の状況や感情を正直に話し、彼らの理解とサポートを得ることで、孤独感や無力感が軽減されました。彼らは私を励まし、支えてくれる存在であり、その温かさに触れることで、罪悪感が少しずつ和らいでいきました。
次に、自分自身のスキルや価値を再評価し、前向きに行動することを心がけました。無職の期間を利用して、スキルアップや新しい知識の習得に努めました。これにより、将来的により良い職業に就くための準備ができ、自己価値感を取り戻すことができました。
さらに、ボランティア活動や地域社会への貢献を通じて、社会とのつながりを維持し、自分が役立つ存在であることを実感しました。これにより、自己肯定感が高まり、罪悪感を軽減することができました。
最後に、専門家の助けを借りることも考えました。カウンセリングを受け、自分の感情を整理し、前向きな思考を取り戻すことができました。プロフェッショナルのサポートを受けることで、自分一人では解決できない問題に対処しやすくなりました。
このように、罪悪感を抱えながらも、それを乗り越えるための努力を続けた結果、最終的には前向きな気持ちで新たな道を見つけることができました。困難な状況を乗り越えることで、自分自身の成長を実感し、将来への自信を取り戻すことができたのです。
離職率の高い職場はそれだけの理由が何かある
女性 会社員 無職の年齢:50歳
罪悪感あり
体験談
企業体質なのか、女性は意地の悪い人間が多く、男性は冷たい人間が多い職場で、執拗な叱責などもたびたび見られるような社風の会社だった。そのせいか、離職する人も多かったように思う。自分自身も嫌がらせやパワハラにあい、我慢していた。ただ、同僚はいい人で、先輩社員の中にもよく気にかけてくれる人もいて、当時としてはよく我慢して働いていたと思う。嫌な人はたいてい上には媚びて、下には嫌がらせをしたり失敗を嘲笑するようなタイプで、不思議と人に取り入るのがうまい。部署内で辞めていく人も続き、そんな中、頼りにしていた先輩社員が異動になり、パワーバランスが嫌な人に傾き、ますます空気が悪くなった。だんだん限界に達して退職した。
罪悪感を解消した方法
退職について、「自分の我慢が足りなかったのではないか」、「本当にこれで良かったのか」、「転職先も決まっていないのに辞めてよかったのか」、「転職が決まったてからにすればよかったのではないか」と、悶々として自分に非があるような気持ちになって、落ち込んでしまった。ただ、退職の理由を家族や親しい人などに話してみると、「会社が悪い」、「ハラスメントを行う方が悪い」、「そんな会社は辞めてよかった」と、肯定的な意見が多かった。それで少し罪悪感がましになったように思う。そう考えると、思い切って親しい人に打ち明けたり、相談したりしたことが罪悪感の軽減につながったので、信頼できる人に胸の内を明かすのも一つの解消法ではないかと思った。
時代とは言え危険な仕事をしてしまった辛い経験
男性 自営業 無職の年齢:32歳
罪悪感あり
体験談
当時は地元では有数の規模の商社の営業職に就いていましたが、残業時間が非常に長く、月に140時間は余裕で超えていました。このことで最初は睡眠障害を患い、病院に行くとうつ病も発症していることが分かりました。毎日1時間も眠れぬまま出勤をしてたのですが、その後1ヵ月程度で限界が来てしまい、辞職をしています。当時は他の会社でも当然のように超過勤務は行われており、現在のように過労死ラインなどの設定もありませんでした。そのため、当時は会社側ではなく頑張れなかった自分が悪いと思い込んでしまい、希死念慮も強く出ていたので退職後は絶望感を覚えたことは懐かしい記憶です。今となっては手遅れではありますが、本来であれば多額の慰謝料等を請求できた事案故に腹立たしさを感じます。
罪悪感を解消した方法
退職したことで、自宅に引きこもるようになってしまい、その背景にはうつ病と睡眠障害が直らなかったことが該当しています。実家にいたことにより、ご近所さんからの視線も気にするようになり、少しでも早く次の仕事探しに翻弄していたものの、当時は就職難の時代だったことで2年以上もの無職の期間がありました。罪悪感ばかり感じる毎日を送りながらも、前職で体験したような職場に入社してしまうことを不安に感じ、実際には面接で採用されても、不安感が募ってしまい辞退をした会社も数件あります。このことにより、余計に罪悪感が強くなってしまい、自分はダメな人間だと自負することが多々ありました。罪悪感を解消した出来事は、知人が経営する会社に誘われて、再就職ができたことで解決できました。
無職期間は精神的に良くない
女性 会社員 無職の年齢:42歳
罪悪感あり
体験談
私が本当に小さな中小企業で働いていた時に社長の親族が病気になって社長がほとんど不在になり、沢山仕事が溜まっている中でそれでも極少人数で頑張って仕事を回していましたが、クレーム処理への返答や責任者としての立場を私達下っ端が全てするようになったので耐えられなくなってやめました。毎日会社に来るのかどうかも分からない中で、なぜ社長が毎日いないのか、連絡がつかないのか、本当の事を相手の会社の人に言ってはいけないと言われていたので、説明すらできず、苦しい立場で毎日過ごしていたので円形脱毛症にもなり自分自身が持たなくなると思いやめて無職になりました。無職になると初めは解放感でいっぱいでしたが、焦りが出てきて無職はあまり良い気持ちじゃなかったです。
罪悪感を解消した方法
罪悪感は二つあり、まず病気の人を支えず私には関係ないと言って見放す形で会社を辞めたのでそれに対しての罪悪感が一つと、もう一つは仕事をしていない罪悪感です。無職になって初めは解放感しかなかったのですが、平日の日中に若い大人が何もしないでフラフラしているなんてダメ人間になった気持ちになりました。買い物をしていても旅行に行っても全然楽しく感じないし、外に出て誰かが仕事をしている人を見るとすごいし、羨ましいと思いました。外出するとお金も減るし、日にちがたつと無職期間がのびる焦りともう自分は仕事なんてできないという自虐にさいなまれる様になりました。それを解消するために早めに転職活動を初めて新しい会社に転職しました。
子供に恥ずかしくない社会人でいたい。
女性 会社員 無職の年齢:33歳
罪悪感あり
体験談
結婚をして、大手企業に勤めていたので、そのまま産休を取得して、職場復帰しようと思っていたのですが、その時の上司が産休を取得をあまりよくおもっていなく、何度も面談をうけました。マタニティハラスメントです。数回目の面談時に気分が悪くなってしまいました。「あー。もう、この職場にいてはお腹の子に悪い。産休を取得するのをあきらめよう。」と思いました。7か月までになっていたので、その後有給所得と産前産後休業を取得させてもらえるように上司をとびこして、人事課との交渉をさせていただきました。とにかく、上司とは関わりが持ちたくなく、悔しくて悔しくしょうがありませんでした。今思い返しても気分が悪くなったしまいます。
罪悪感を解消した方法
子供を出産し、会社、社会とのつながりがなくなったしまった感がとてもありました。自分が子育てをしなければならないことはある程度りかいできますが、今の自分には何の生産性のない価値のないように感じてしまっていました。こどもが幼稚園児のころにパチンコ、スロット店の前を通った時にことです。「パチンコ屋さんには誰が行って遊ぶの?」と聞きました、「お仕事をして、お金を稼いでいる人が遊べるところだよ。」と答えると、「じゃーママはいけないね。」と言われました。はっとしました。子供からは私はお仕事をしていないのでパチンコ屋には行けない人に分類されてしまうのか。と愕然としました。それから、私は子供の負担にならないように、家計の為ではもちろんありますが、社会の一員となるべく就職をしました。
時代が違えど人はそんなに変わらない
男性 会社員 無職の年齢:21歳
罪悪感あり
体験談
新卒で入社した会社でしたが、当時の会社はICTに弱く、比較的PCに詳しい新人ということでかなり期待値が高かったのを覚えています。学校でプログラムをかじったことがある程度のスキルで会社の生産部門の工場のICT化を担当させられました。地元ではかなり有名な工場でしたがプロジェクトの先頭に立たないといけない状態でプレッシャーに押しつぶされそうでした。毎日会社終わりに飲み会があるような会社で社会人1年目だった私はもちろん参加は強制でしたし、お酒のお酌などもやらないといけない状態でした。しかもお酒を飲んで初めて分かったのですがどうやらお酒がかなり苦手ということが分かりました。なにもかも八方塞がりの状態でしたので心が折れてしまいました。
罪悪感を解消した方法
罪悪感はありました。地元では有名な会社でしたので両親は入社できたこと自体を喜んでいましたし我が家は安泰だみたいなことを言っていたことがフラッシュバックされます。精神的にも肉体的にもボロボロで、しばらく家に引きこもることになってしまいました。もちろん実家です。そのため、父にはいい加減働けと言われる始末でした。自分自身社会でやっていく自信が完全になくなっていましたが、母だけが何も言わなくて「今日は何食べたい?」などと言っていつもの母と変わりませんでした。元々天然なところがあった母ですが流石に救われました。逆にその自然なふるまいで母には心配かけたくないと思い次の就活の打一歩を踏み出すことができました。
体を休める分にはいいけど無職状態は精神的にキツい。
女性 無職 無職の年齢:26歳
罪悪感あり
体験談
体調をくずし、職場の人員も少ないため退職、無職になりました。失業後はハローワークで失業手当をもらい、あとは体調を戻そうと食事の見直しだったりストレッチや運動をしていました。実家に戻ったので家事手伝いをしていました。倦怠感や抑うつ状態が消えるまで1年ほどかかりました。その間に転職活動をしましたがうまくいきませんでした。無職になった時はすこし休んだら働けるかなあと思っていたんですが、仕事が決まらないためイライラがあったり、親にも「仕事しろ。」とわかっているのに催促され、イライラもあるが自分が無職状態なことにすごく悲しかったです。前職での嫌なことがふとよみがえって涙がでたり、たとえ職場が決まっても、同じようなことがおきて、またやめてしまうのではないかという不安もありました。
罪悪感を解消した方法
罪悪感を解消した方法は、家の掃除・洗濯、料理、ごみ捨てなど家事手伝いを率先してやったこと、日用品の買い物、住民税や国民健康保険、自分の食事、携帯の料金等は自分の貯金から費用をだしたこと、本業やアルバイトの仕事の求人をみること、転職活動を応援している会社の(レクルートなど)のセミナーに参加し、履歴書の書き方や自己分析をしアドバイスをもらったり、ランサーズのような家でできる副業をしたり、同じような病気になっている人のブログ等を読み、解決方法を探したこと。前から気になっていた物事の勉強をした。家にいてもしょうがないので運動がてら外に散歩をしにいったりしていた。感情的なものは日記やツイッターで叫ぶようにしていたり、無料で相談できるチャットで悩みをきいてもらったりしていた。
無職のときに罪悪感がなかった人の体験談
目的をもって行動することによっての学びの大切さ
男性 自営業 無職の年齢:25歳
罪悪感なし
体験談
社会に出た後、異業種転職のため一念発起し専門学校に通うべく無職となりました。
学生に戻ったので楽しかったです。勉強をするためという目的があったので、今思えば充実していました。
無職になったときの経験は、自己を見つめ直す貴重な機会でした。
新しい学びの場は非常に刺激的で、知識の習得やスキルの向上に没頭できる環境は心地よく感じました。経済的な不安はありましたが、それ以上に成長する喜びが大きかったです。この期間を通じて、自分の興味や情熱を再確認し、新たなキャリアへの道筋を見つけることができました。無職の経験は人生の転機となり、前向きに生きる力を与えてくれました。今では、あの時期があってこその自分だと思えます。
罪悪感がない理由
無職期間を新たなチャンスと捉えました。それまでの仕事は満足感を得られず、自分のキャリアについて再評価する機会を求めていました。無職になったことは、自分を見つめ直し、新しい道を模索する絶好の機会だと感じました。
さらに、家族や友人からのサポートが大きな支えとなりました。私の決断を尊重し、前向きに捉えるよう励ましてくれました。このサポートがあったおかげで、ネガティブな感情にとらわれることなく、自分の将来に集中することができました。
最後に、学生に戻る決断が自分にとって正しい選択であると確信していたことも重要な要因です。学び直しの機会は、自分のスキルを向上させ、新たなキャリアを切り開くための重要なステップと捉えていました。この前向きな視点が、罪悪感を感じることなく新しい挑戦を受け入れる原動力となりました。
これらの要因が重なり、無職になった経験を罪悪感なく受け入れ、むしろ成長と再挑戦の機会と捉えることができました。この期間は、自分自身を見つめ直し、将来の目標を明確にする貴重な時間となりました。
親の介護で仕事を辞めることについて後悔してないか。
女性 会社員 無職の年齢:52歳
罪悪感なし
体験談
親の介護が必要になりつつあり、今まで全く家の事をやっていなかったので、親に聞けるうちにきちんと家のことや、やらないといけない事、町内会のことなど、いろいろな事を聞いておこうと思いました。以前の仕事のままでは、忙しすぎて親が助けが必要な時に全く、援助ができない状況だったので、やめました。実際に仕事を辞めて家にいると親からいろいろと言われてストレスがたまります。でも、親が助けが必要な時にすぐに対応できるのでその点では良かったです。仕事を辞めていろいろな事ができそうな感じはしましたけど、いろいろと忙しくて思った以上にできない感じです。親の介護が必要がなくなり、仕事をしようとしても、仕事をずっと続けてれば、大丈夫ですが、仕事を辞めてしまっていると仕事ができるかどうか少し、不安です。
罪悪感がない理由
自分で勝手に仕事を辞めてしまったのではなく、親がしつこく何回でも、仕事を辞めて家のことをやってほしいと言っていたので、罪悪感は全くありませんでした。実際に仕事を辞めて家のことが仕事をしているときよりもやっているので、辞めてよかったです。親自身も仕事を辞めてから、体調を崩して、救急車で搬送されたり、入院したりしてるので、そういう時に仕事をしてたら親だけでは対処できなかったと思いますし、病院の通院も増えてきてるし、これからもっとこういうことは増えていくと思うので、いいタイミングで辞めたと思います。仕事を辞めた時、従業員の人たちとはいい関係でしたが、上司とはいい関係ではなかったので、もう少しいい関係で会社を辞めれたらなぁと思いました。
やりたいことをやるために、一旦会社を辞めてみた。
女性 自営業 無職の年齢:22歳
罪悪感なし
体験談
一番の理由は、自分の時間が欲しくて一旦無職になりました。そもそも親のコネで入らせてもらっていた会社なので、社会経験が出来ればいいという程度で仕事をしており、もともと契約期間が決まっていたのもあって、契約満了間近では「別の部署を紹介できるけどどうする?」と訊かれましたが、このまま働いて何かミスをした場合、親の顔に泥を塗ってしまうような気もしたので、一旦その会社から離れる決意をしました。
仕事が自分にとって無理をするほど大変だったとか、人間関係がめちゃくちゃ嫌だったとかはないですが、自分にとってやりがいのある仕事でもなかったし、居場所と言えるような居心地の良さも感じなかったので、辞める時は「やっと足枷が取れた…」くらいの清々しい気持ちでした。
罪悪感がない理由
多少のミスをしたり、人に迷惑をかけることもありましたが、とりあえず期間まではやりきったということで、罪悪感はかなり少なかったです。紹介してくれた親に対しては、少し申し訳ない気もありましたが、一旦自分の時間を作り、自分のやりたいことを思い切りやってみようと思ったので、そういう意味でも罪悪感は少なかったです。無職期間中は、失業保険をもらいながら一心不乱に漫画を描いていました。描きあがった漫画は雑誌に投稿したりもしました。結果、賞に全く引っかかるようなものではなかったのですが、一応その時の自分としては一区切りがついたので、その後すぐに自分の働けそうな職場を探して応募しました。無職中に何もしないでいたらさすがに罪悪感だけだと思いますが、やりたいことがやれたので、今考えても後悔はしていません。
離れてからその大切さに気付く、を経験させた話
女性 無職 無職の年齢:26歳
罪悪感なし
体験談
雇用形態はアルバイトだったのですが、最低賃金でただのアルバイトにしては見合わないほどの仕事量と責任を押し付けられていました。給料の出ない持ち帰りの残業を、深夜までやっていたこともありました。上の人が理不尽に説教をしたり、自分の価値観や考えを他人に押し付けたりするような人だったり、防犯カメラの映像を逐一チェックし、防犯目的ではなく、従業員の監視をされていました。「仕事中の私語は必ず慎むように」「昨日○時○分に何故このような動きをしていたのか」「接客態度がおかしい」などと度々監視しては文句を言われ、従業員一同は、上の人を恐れていました。顔色を伺い、防犯カメラで24時間監視をされているその状況と、見合わない仕事量、押し付けられる重すぎる責任の重圧に耐えきれずに、退職を決意しました。
罪悪感がない理由
才能のある者に頼り過ぎて、たくさんの仕事を押し付け、理不尽に怒り、自分は楽をしようとしていたのが目に見えていたためです。私はアルバイトながらに、一番上の立場でしたから、新人教育や、その他重要な業務を任されていました。持ち帰りの無償で行う残業だって、手を抜いたことは一度もありませんでした。しかしそれを行って当たり前だと思っている上の人の態度が心底気に食わなかったので、重要な役割を果たしている、立場が上の私がいなくなったら、困るだろうと思ったので、本当にいなくなってやりました。人に任せきりで、それを当たり前だと思っていることを痛感して欲しかったからです。私がいなくなって、困って欲しかったからです。自分のしていたことを理解して欲しいがために、耐えられないその状況下から逃げ出しました。
危機感を覚えなければ、働かないとという気持ちにはなれない
女性 無職 無職の年齢:22歳
罪悪感なし
体験談
22の時は大学卒業後に就職を考えていなかったこととやりたいことがあったため1~2ヶ月ほど無職の期間があり、1年ほど色々なアルバイトをしていました。その後長く務めるところに出会いますが、それまでは短期のバイトをしてみたり通常では受けないバイトをしてみたりと色々な経験ができたので、金銭面の安定はありませんでしたが楽しかったです。現在(35歳)は業務委託で子供のお小遣い程度なので無職と考えていますが、こちらは上司との相性が悪かったことと、遊びにもいかずこちらは対策をしていたのにも関わらずコロナにかかり、原因が会社の出社強要と周りの人間の感染対策不足(マスクなしで過ごし在宅勤務をしない)で、対策もしないのに出社強要する会社で社員でいることは無理だと思い辞めました。
罪悪感がない理由
大学卒業後の時は罪悪感はありませんでしたが、年金の支払い等どうしようかという不安はありました。罪悪感がなかったのは通っていた大学が特殊で就職しない方が多かったことと、年齢も若かったのでこういうこともあるよなという気持ちでした。もちろん就職している方もいたのですが、なる気もない教員になったり関係のない職についてまで社員になりたくない、という気持ちのほうが強かったと思います。現在はある程度貯金をしていたのですぐに働かないと生活ができないという状況ではないため、なかなか仕事に前向きになれませんが、年齢のこともありいい歳した大人が……と逆に罪悪感があります。20代の頃と現在で環境は大きく変わっていないのですが、年齢的な部分は大きいとおもいます。
自分らしく自分の好きなことをして食べていく
女性 無職 無職の年齢:46歳歳
罪悪感なし
体験談
無職になったのは、在宅で仕事をする必要ができたためです。当時、会社員勤めを継続することもできましたが、今後のことも考え、早いうちから在宅で働く準備をしようと考えました。自分の性格上、会社勤めは合っていないこともあり、家族が高齢になり今後介助や介護が必要になることもあり、仕事を辞める判断をしました。また、自宅が冷房がない家なので、自宅に1人でいる高齢者の熱中症の危険性を考えたりしました。また、フリーランスになれば、どこででも生活できます。私は、絵を描いたり文章を書いたりすることが、好きなので、フリーランスの職業は自分に合っていると考えました。フリーランスは、住む場所を変えることも自由なので、会社を辞めました。
罪悪感がない理由
罪悪感がなかった理由は、上記説明にもあるように、自分だけのことを優先して考えていなかったからです。自分の家の辺りは、今後災害が起きた時、津波浸水区域に指定されています。そのため、自宅に大切な家族を残して会社に出かけている時に、津波が来た時に助けることができません。今後のこと、あらゆることを想定したうえで、会社を辞めようと決断しました。もし、これが、自分の都合だけだった場合、どうしても罪悪感ができます。今より若かった頃は、仕事を辞めて自宅にいると、近所の人の目や、役所で手続きする時、何か後ろめたい気がして罪悪感を覚えたものです。周りの人々が会社で仕事をしているのに、自分は昼間からブラブラしているのが、恥ずかしかったです。そのせいで、神経性胃炎にもなり病院に入院もしました。昔は、自宅で働くことは珍しいし、小説家や漫画家ぐらいだろうと考えていました。現在では、働き方も自由に様々な選択肢が広がっている時代です。在宅でも、パソコン一つで様々な仕事ができます。
非常識なパワハラ上司の嫌がらせで退職を決めた話
男性 自営業 無職の年齢:35歳
罪悪感なし
体験談
外資系タバコ会社に就職できたときは最初は給料もそこそこ高く、ある程度自由に仕事をやらせてくれてたのでやりがいを感じていた。仕事は
営業でタバコの拡販がメインであり、それぞれの担当地域のタバコ屋を回って、自社製品を置いてもらうのが主な業務でした。そのさい、お店の
自動販売機に自社製品を入れてもらったり、店頭に並べてもらったりすると成果になり評価されます。仕事もそれなりにうまくいっていたのですが、ある日それまでの上司が転勤になり、後任の課長というのがとんでもない男でした。こいつはまだ20代前半で若くして課長になったことで
調子にのり、それまでのノルマを倍増させてきました。そのために仕事時間も長時間になりストレスで疲弊しました。しかも少しでも気にいらない
ことがあれば、みんなの前で罵声を浴びせてくるのです。せっかく入社した会社だったので、かなり我慢してましたが、ついに耐え切れなくなり、
その上司と大喧嘩して、後先考えずに辞表をたたきつけて無職になってしまったのです。
罪悪感がない理由
私は真面目に仕事していましたし、前任の上司のときはノルマもきちんとこなしていて、何か言われたことはなかったのです。また他の同僚とも
うまくやっていてトラブルを起こしたことは一度もありません。しかし自分の出世のために、部下がどれだけしんどい思いをしようともどんどん
ノルマを増やしていき、それだけではなく些細なことで言いがかりをつけて罵声を浴びせてくる。このような思いやりのかけらもない非常識な
パワハラ上司とはうまくいくわけはありません。実際私が辞職した前後に同じように4名の同僚が次々に恨みの言葉を残して退職しています。
次の仕事が決まっていないのに、退職したことで確かに苦労しましたが、あのようなパワハラ上司の下にいたらそのうち病気になっていたでしょうから後悔はしておらず罪悪感はありません。
常人という名の患者たち
女性 無職 無職の年齢:43歳
罪悪感なし
体験談
大学病院に、医療クラークとしてパート勤務で就職しました。配属先は産婦人科で、患者さんも女性ばかりで個人的には、とても気に入りました。この環境でカルテの管理など、主に書類を取り扱う作業さえしてれば良い。とても快適な環境に思えました。しかし、肉体労働メインの看護師さんとのソリが合わなくなったり、いろいろと人間関係のこじれから、職場環境を移され、最終的に病院内地下の給食室に調理補助として異動させられました。そこでも、靴ひもを切られたり、犯人は、おそらくロッカーが隣の人だと推測し。上司に相談したら、彼女は心の病があるから、多少のことは許してあげて欲しい。と言われました。こちらとしては、そんな人の指示の下で作業しなければならない事に違和感と恐怖感、気持ち悪さを感じ退職しました。
罪悪感がない理由
辞めることに対しての罪悪感は、まったくありませんでした。逆に先方が、私に仕事を辞めてもらう為に、いろんな手を使って嫌がらせしてきたのだろうと思います。我が身に起きた不可思議な出来事を思い返してみると。どこから?情報を入手してくるのか存じませんが。「あの人、明菜だって」とかコソコソ話してて、あきなってどういうことですか?って聞き返したり。で、仕事終えて、白衣から私服に着替える更衣室の私のロッカーの前に マッキーのペンが何度も落ちてたり。なにが言いたいの⁇ここの看護師やら女医は。と思ったりもしました。噂の勝手な独り歩きで、何か女性たちの間で不確かな情報交換が、あったのかもしれません。女性心理を逆撫でするような行動を無意識のうちに、私が取っていたのかも、わかりませんが。私は、自宅と保育園と大学病院をいったり来たりしてるだけでした。
無職が続いたのには理由がありました
女性 自営業 無職の年齢:36歳
罪悪感なし
体験談
私は高校を卒業して、しばらく社会人だったのですが、やりたいことが見つかり、改めて短大に進学することにしました。
しかし、短大を卒業後したものの、なかなか仕事が決まらず、無職の時期が続きました。
そのため、生活費がなく、身内からお金を借りて、何とか生活を続けていました。
当時は毎日ハローワークへ通ったり、派遣会社に登録したりしました。
自分がやりたいことや短大で学んだことを生かした仕事をしたいと思っていました。
しかし、そのような業種ではかなり労働条件が厳しく、過去に過労で倒れている私にとっては、とても続けられるような仕事ではありませんでした。
そのようなこともあり、なかなか仕事が決まらずに、しばらく無職の期間が続きました。
罪悪感がない理由
今振り返ると、その時無職が続いてしまったのは、やはり職種にこだわりつづけてしまったからかもしれません。
また、今よりも自分優先で生きていたように思います。
結局、利己主義ではうまくいかないもので、誰かのために何かをしたいという気持ちから、いろいろな行動ができるものだと思います。
もちろん、自分をないがしろにしてもよいということではなく、まずは自分を大切にできるからこそ、誰かのために行動できるのだと思います。
当時は短大で専門的なことを学べばその道に進めるのではないかと安易に考えていたように思います。
お金を稼ぐためだけに働くと、とても辛いですし、続けることができません。
それで心身を病んでしまっては元も子もありません。
なので、無理に仕事をしようとは思っていなかったので、罪悪感はありませんでした。
急に仕事を失った恐怖
女性 会社員 無職の年齢:34歳
罪悪感なし
体験談
転職した会社にて、社長の愚痴をポロッと喋ったら、それを社長が監視カメラで見ていて、謝罪もして、社員と今後一切関わらないという禊も頂いていたのですが、そこから私に対してのあたりが強くなり、仕事がしにくくなり、会社内で過呼吸を起こして倒れた後に適応障害を、発症して有給をもらい、最初の1ヶ月は休職をしていました。
すると、1ヶ月たってから、急に会社がこの1ヶ月は私に罪を改めさせる期間だった。有給はあげません。やめなさいと言われ急に無職になりました。
労基にも行ったし、弁護士さんにも相談しましたが、精神病にかかっている自分にはすべてが辛くて、最低限の権利だけもらい、退職しました。すべてが辛かったです。今もです。
罪悪感がない理由
社長は気に入らなくなった相手をとことん突き落とすやり方をされる方なので、罪悪感ではなく、恐怖心でいっぱいでした。
なので、労働基準監督署や弁護士さんに相談する時も罪悪感より恐怖心がいっぱいでした。
弁護士さんに退職手続きの代行を頼んだ時、社長が怒り狂ってやり合える弁護士さんを探しまくったそうです。
でも、相手にしてくれるところは少なく、やっと相談してくれる弁護士さんを見つけて契約したらしいですが、何かをすることはないそうです。
でも未だに怖いです。何かされるんじゃないかという恐怖心でいっぱいです。
罪悪感なんてとんでもないです。
無職になっても、転職しても、きっと恐怖心でいっぱいなのは変わらないんだと思います。
退職をしてみてわかった事
男性 自営業 無職の年齢:21歳
罪悪感なし
体験談
無職になった経験は、海外留学を決意したことがきっかけでした。以前から異文化に触れ、新しい視点を得たいという願望がありました。仕事を続けながら留学の準備を進め、ついに留学先が決まった時、思い切って退職を決意しました。最初は仕事を辞めることへの不安がありましたが、新しい環境で学ぶことへの期待がそれを上回り,思い切った決断をしてよかったと今では思っています。
留学中は言語の壁や文化の違いに戸惑うこともありましたが、それ以上に新しい知識やスキルを習得する喜びが大きかったです。帰国後、以前の職場では得られなかった視野と経験を持って再就職活動に臨みました。無職期間中の挑戦と成長が、自分のキャリアにおいて大きな転機となったと感じています。
罪悪感がない理由
仕事を辞めたとき、罪悪感がなかった理由は、明確な目標と自己成長への強い意志があったからです。海外留学の機会、異文化の中で新たな知識や視点を得ることが自分にとって必要だと感じていました。確かに継続していた仕事を辞めましたが、キャリア全体を考えると、これは成長のための重要なステップだと思いました。留学の意志や理由を正直に伝え、理解と応援を得られたことも罪悪感を軽減する要因となりました。留学先では、言語の壁や新しい環境での挑戦がありましたが、それ以上に多くの貴重な経験を積むことができました。この経験が将来のキャリアに大きなプラスになると確信していたため、辞職に対する後悔や罪悪感は全く感じませんでした。
自分自身を探す期間〜石垣島の海を見ながら〜
女性 主婦 無職の年齢:25歳
罪悪感なし
体験談
5年間働いた仕事を体調不良になり、辞めました。最初の3年間は希望していた部署ではなかったのですが、新人として頑張って働きました。なんとか慣れてきた4年目に部署移動になり、希望していた部署になったのですが、新人の頃とやる事が変わり、全く動けず。それでも必死になって働いたのですが、メンタルをやられ鬱を発症、突発性難聴や機能性生理出血など、症状が現れ、職場でも倒れてしまいました。2年間頑張りましたが、もう無理だと判断し、3月いっぱいで辞め、4月から無職になり、石垣島に1人で旅行に行きました。辞める時は罪悪感より、やっとこの部署に行かなくてよくなる、自由になれる、という晴れ晴れした気持ちでいっぱいでした。しかしいまだにあの時の上司の夢でうなされます。
罪悪感がない理由
独身で自由だったから、罪悪感はなかったんだと思います。体調も不安定だったし、何より嫌で嫌でたまらなかった部署、そこで2年間頑張れた事にむしろ達成感を感じていました。本来なら希望していた部署だったのですが、自分の考えが甘かった事に気づかされ、自分の適性も知る事ができ、良かったと思いました。無職になってすぐ、石垣島に1ヶ月一人旅をし、そこで働く人たちを見て、一生懸命頑張る事はどういう事かを考えました。無職なのに、退職金でスキューバダイビングをしたり、海遊びをしたり、お酒を飲んだりしました。その時は早く働かないと、という思いはありましたが、資格を持っていた事と、資格を使わなくても仕事はいろいろあるから、自分のやりたい事を見つけよう、と落ち着いていました。結局無職期間は3ヶ月、資格とは全く別の職に就き、新しい挑戦として頑張っていく事ができました。
自分や家族の幸せより大事なものはない!他にも仕事はあるよ!
女性 主婦 無職の年齢:50歳
罪悪感なし
体験談
社長のふるまいがあまりにもひどかった。常に売上のみを考え、休みも年間で50日くらいしかない年もあった。行程をみなおし休みを増やしたりや残業を減らせるように努力したが、その分勝手に仕事を増やされた。社員を大事にせず、昇給もなし。ボーナスもなし。他のスタッフがボランティアでやってる作業もあったようだが、手当を払っている様子もない。有休もやめるまであること自体しらなかった。他の社員は契約時の給料と実際の給料が違う人もいた。福利厚生と言って休日に食事会などを催すのだが、貴重な休みに社長の顔を見るのが嫌で不参加にしていた。我慢のピークに達した。同時に家族も体調を崩し、遅刻早退が増えるとその不満を他のスタッフに話したり、いないときのトラブルを自分のせいにされていたと知った。限界でした。
罪悪感がない理由
とにかくひどすきると思った。やめていったスタッフから早くやめた方がいいとずっと言われていたが、すべてを任されていたためやめることができなかった。家族の時間を減らしてまで頑張ったのが本当に悔やまれる。子供に十分向き合う時間がなかったことで、今も精神面の調子を悪くし、苦しんでいる。罪悪感などあるはずがない。残ったスタッフが心配だったが、もっと早くやめるべきだったと思っている。後任がすぐやめてしまい仕方なく手伝いをしているが、スタッフに対する態度がさらに悪化していて、見ていて気分が悪くなるので在宅での作業のみ高単価で手伝っている。社長のパワハラで体調を崩して休んだり、退職に追い込まれている人もいる。社長は罪悪感もなく笑って過ごしていて、それにあわせているスタッフもいて気分が悪い。今は好きな仕事を探したり、家族とゆっくりすごせて幸せだ。
まとめ:無職のときに罪悪感があっても大丈夫
この記事を読んだあなたは、罪悪感に苛まれているかもしれません。
しかし、体験談を読んでもらってわかる通り、罪悪感があった人でも解消してその後の人生を歩んでいる人がほとんどです。
根本的に罪悪感を解消する方法は、このサイトでも複数紹介しているので、ぜひ読んであなたの未来を明るいものにしてください。
カンタンですが、科学的に正しい罪悪感の解消方法はこちらの記事を参考にしてみてください。
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