この記事は、毒親と関わった際の罪悪感についての体験談を集めたものです。
様々な背景や状況での毒親と関わった経験が紹介されていて、それぞれの体験者が
・どのように罪悪感を感じ
・どのようにその罪悪感を解消しようとしたのか
が詳しく語られています。
考えさせられるポイントとしては、3つあります。
ポイント
・毒親と関わった状況はどのようなものか?
・罪悪感を感じる人と感じない人の違いは何か?
・どうすれば毒親と関わった罪悪感が解消されるか?
他人の経験談を読むことは罪悪感の解消に効果的です。
他の人の意見を取り入れることで、自分の状況を客観的に見ることができます。
あなたがもし毒親と関わったことに関して罪悪感を感じているのであれば、似たような経験を持っている人を見つけてヒントをもらってみてください。
毒親と関わったときに罪悪感があった人の体験談
毒親の子が毒子とならないためにできること
女性 会社員 毒親と関わった年齢:50歳
罪悪感あり
体験談
小学生の頃の経験です。
母はハタチで私を産み、当時は20代で若く、近所でも評判の美人ママで、とても社交的な女性でした。
反面、父は内向的な性格で、田舎から都会に出てきたこともあり、友人と呼べる存在もなく、昼夜を問わず外出することの多かった母に対する不満と、もしかしたら嫉妬もあったのかもしれません。
父が、典型的な「酒乱のDV夫」となるまでに、そう時間はかかりませんでした。
百貨店で働いていた母は、自宅からほど近い作業所に勤務する父より、当然帰宅時間が遅くなります。
母は仕事が終わると毎回私に電話をかけて確認しました。
「パパは飲んでる?酔っぱらってる?」
私が「飲んでる」と言えば、「もうお酒はやめて!」とお願いするよう促され、「酔っぱらってる」と答えると、その日は母は帰ってきませんでした。
最初のうちこそ、帰宅しない母を一晩中探し回ったり、片っ端から電話をかけ続けていたりもしていたようですが、私が家にいる限り、母は必ず帰ってくるという事実に気が付いた父は、ギャンブルにのめり込むようになり、母曰く「女ができた」ことで自宅に寄り付かなくなりました。
父がいなくなったことで平穏を取り戻したかのように見えた我が家でしたが、その後たびたび「課長」というおじさんが母を送って来るようになりました。
送るだけだったおじさんは、そのうち食事を共にするようになり、週に何度かは泊まるようにもなっていました。
その間も、たまに父は帰宅していました。
母たちが事前に察知していたかどうかはわかりませんが、父とおじさんが鉢合わせをすることはありませんでした。
そんな生活が1年ほど続いたある夏の夜。
母とおじさんが眠る寝室から叫び声が聞こえました。
深夜に突然酔った状態で帰宅した父の怒鳴り声、母の悲鳴。あらゆる物が壊れる音。
しばらくすると、子ども部屋のベッドで布団をかぶって息を殺す私を母は無理矢理抱き起し、言いました。
「パパがおじさんを殺すと言って出て行った。まだ近くにいるから追いかけて捕まえて!」
当時まだ小学3年生の女の子に、自分の浮気現場を見て逆上した夫を追いかけるように言った母。
深夜に、パジャマのまま家を出る私。
その後の記憶は定かではありません。
父は幸いにも罪を犯すことなく、その夜を境におじさんが来ることもなくなり、私は祖父母の家に身を寄せました。
両親の離婚、自宅の転居、母の転職。
すべてがいつどのように行われたかは私は知りません。
数年後、母は再婚しました。
今度は「社長」というおじさんでしたが、数年後にはただのおじさんとなりました。
今は母が「社長」です。
若々しさと美貌だけでなく、「苦労話」という武器を手に入れた母は、相変わらず社交的です。
母の「苦労話」の登場人物の中に「課長」は存在しません。
私にとっては、酒乱でDVの実父より、部下との不倫がバレて自分だけ逃げた課長より、会社を潰して借金まみれとなった継父より、
猛毒なのは母親です。
罪悪感を解消した方法
当時、小学生の私が罪悪感を感じていたかどうかは今となってはわかりませんが、後に「もっと早くおばあちゃんに相談すれば何かが変わっていたかもしれない」そんな思いが過るたびに自分を責めました。
その感情が、罪悪感なのか単なる後悔なのか。
いずれにしてもかなり特殊な環境で育ったという事実は、私に消しようのない劣等感を植え付けました。
祖父母や親族はもちろん、学校の先生や友人たちに知られることで、同情されることを恐れた私が心に決めたことは、「絶対に誰にも言わない」ことでした。
その結果、母は私の友人知人からも人気があり、尊敬すらする人もいます。
そこに話を合わせること。
それで紛らわせているのかもしれません。
そういう意味では、私はやはり母の子です。
親の言葉の影響力の怖さ
女性 主婦 毒親と関わった年齢:27歳
罪悪感あり
体験談
私が友達の家に泊まりに行ったときの出来事です。友達には3歳の息子がいました。
母親の都合で(車での送り迎えを往復30分毎日しなければいけなくてそれが面倒、私が遊びに来てることによってさらに面倒になった)息子の幼稚園を休ませる際に、息子に「あなた今日は顔色が悪くてしんどうそうね、熱があるかもしれないから幼稚園休もうか?」と言う、息子は元気なはずなのに幼稚園休めるの?ラッキーと言わんばかりに喜び、ゲームをし続けている。そしてなんか今日はしんどくなる気がしてたんだよねー、しんどくなってきたよと息子が発した。彼は全くしんどくなかったはずなのに、親の言葉によって魔法をかけられたように体調が悪くなってしまった。
罪悪感を解消した方法
私はその時に何ができたかを考えることが今でもあります。私がいなければこんな状況になることはなかった。友達の息子は朝とても元気だったはずはのに、母親の発言によってみるみる体調が悪くなってしまった。暗示にかけられたようにもみえた。しかしあの状況で嘘はよくないよ、幼稚園に連れていってあげなよと言うべきだったのか。子供の前で嘘をつくなんてひどいよと言えばよかったな、10年近くたった今でも考える時があるが答えはでないです。当時の私は幼稚園に通う子供がまだいなかったので、送り迎えの大変さがわからない立場で発言できなかったこと、もし発言してその場がしらけてしまうことを理由に私のせいじゃないと思うようにしている。本人がくだした決断である。
幼少期からの誤った宗教教育による精神的虐待と人生への影響
女性 会社員 毒親と関わった年齢:38歳
罪悪感あり
体験談
私は宗教による精神的虐待を受けて育った宗教二世です。
物心ついた頃から母親は宗教にのめり込み、長時間神棚の前から離れずに拝んでいました。小さい頃は、母に振り向いてもらうため私も一生懸命拝んでいました。宗教的な道徳教育はされましたが、感情や行動に罪の意識を植え付けるような内容であり、子供らしさや自分らしく感情を感じることができなくなっていました。父親はギャンブル依存があり、それも宗教の徳が不足しているためと結論づけて、熱心さが増しました。母から、父親の悪口を聞くことも私の役割であり、子供の頃は母がかわいそうと思って親身になって聞いていました。結婚をきっかけに距離ができ客観的になっていった。母親には恨みの感情があり、大人になっても私の意向を無視して私の名前を使って勝手に物事をされていたことがあった。私の一人暮らしの家に泊まりに来ると言われ、いよいよ耐えられなくなり、それを機会に38歳で絶縁(音信不通)した。特に、ネガティブな感情を持つと悪いことが起きるという教えから、自分の嫌な気持ちを抑圧しわからなくなってしまい、モラハラ的な人に従ったり、悪い人に利用されたり等人間関係でトラブルに巻き込まれやすいと感じます。
罪悪感を解消した方法
直接的に人の役に立つ仕事をすることで、罪を償っている気がします。誰かの役に立たなければいけないとか、誰かを救わなければいけないという気持ちがあります。救えた、と自分が実感したり安心感が出るまでのめり込んで、おせっかいというレベルで手伝ってしまったり、相手の主導権を奪うような内容まで行ってしまうことも以前にはありました。長く医療系の仕事をしています。
ごめんなさいが口癖で、相手が私に攻撃してくるような人でも、きっと自分が悪いからだという気持ちになって、受け入れてしまいます。
病気で動けなくなった時に、人の役に立っていない私は生きる資格がないと感じ、消えてなくなりたくなりました。
悪いことはすべて自分の責任だと感じ、何でも一人で背負い込んでしまいます。他人を責めることや、他人の責任を追求することを避けています。
逃げる事も時には必要!
女性 主婦 毒親と関わった年齢:19歳
罪悪感あり
体験談
19歳、短大一年生の時に兄が離婚して、子連れで帰ってきました。その時に、まず、短大に通いながら私が面倒を見るように言われ、その次は、決まっていた就職を諦めて子育てするようにと強要され、幼稚園に通い始めてからも、それは続いて、私はママ友付き合いをしながら、兄の子供の小学校受験までして、無事に小学校へ入学させました。それと同時に、私は家をできるだけ早くでなければ、一生、この家の犠牲になって生きなければならないと悟り、就職先を探し、働き始めました。そして、二年半働いてお金を貯めて、海外へ脱出しました。もうあの家から逃げたいと思いました。そして、逃げて、私は自由を手に入れました。全く、後悔していません。
罪悪感を解消した方法
罪悪感はすごくありました。育児放棄して出てきたような、そんな気持ちをずっと引きずっていました。けれども、幸い、外国へと逃げ出したので、その罪悪感を感じている気持ちの余裕はあまりありませんでした。ただ、がむしゃらに、言葉の通じない国で、私は生きました。そして、自分の好きな事、楽しい事を一杯することによって、罪悪感はどんどん薄らいでいったと思います。そのうち、現地で彼氏もできて、私は、私の、自分の人生を生きよう!と思いました。大変でも、辛いことがあっても、私は自由を手にしたんだと、物凄い開放感でした。この生活を何がなんでも手放したくないと思いました。今も、思っています。母親は認知症になり、もう私の事は分からなくなったんですが・・・。
友人の複雑な家庭環境について
男性 自営業 毒親と関わった年齢:9歳
罪悪感あり
体験談
自身がかかわったというよりも、仲の良い友人の親がそうでした。
私が仲の良い友人の家に行った際もこちらの事を気にする事がなく、子供ながらに違和感を感じたことを覚えています。
現在では友人も私も大人になり、友人は成人してしばらくした頃自立するようになり少しずつ疎遠になっているとのことです。
ただ血の繋がった親ということもあり完全に関係を絶つことはできない為、今でもしんどくなる時はあるようです。
私自身は恵まれた家庭環境にあり心の底から理解することは難しいのだと思いますが、
常に縛られたり監視されているかのような生活は相当に苦しいものだと思います。
友人は家族だけで過ごすのが苦痛だったようで私をよく家に招いていましたが、親御さんはそれすらもよく思っていなかったとの事で、
人間関係の難しさを感じました。
罪悪感を解消した方法
紛らわす方法はありませんが、自身の趣味等で忘れようと努力することが多いです。
罪悪感を感じたきっかけとしては先程の項目に私を招いてくれたものの親御さんがそれをよく思っていなかったからです。
友人がそれを望んでいたので罪悪感を感じることではないかもしれませんが、家族関係の悪化を助長してしまったようなことは非常に苦しかったです。
子供の頃は気にすることもありませんでしたが、大人になってからはそれを意識しストレスになってしまうことも多いので、
そういった時はリラックスできる音楽を聴いたりゲームをしたりしています。
ただゲーム等プレイをしなくてはいけないものは罪悪感がストレスになり集中できないことも多いので、
個人的には音楽を聴くのがベストかなと思っています。
反面教師にしたいけど同じ道を歩みそうで恐怖している件
女性 無職 毒親と関わった年齢:3歳
罪悪感あり
体験談
○太っていることを指摘された
「ウドの大木のよう」「デカいなぁ」と言われるとそれが悪いことのように感じて、言われる度に嫌な気持ちになった。
年齢を重ねるにつれて学校や職場で同じことを言われると攻撃力は何倍にもなった。
○旅先で沢山の人がいる中でド叱られた
物心が着いたばかりの時、家族で魚市場に行き試食をもらった。その時、店側が菜箸を持たせてくれたのでそれで試食をとって口をつけて食べた。大人になった今では菜箸で試食をとって、手に移して食べることを知っているが、当時はそんなこと知らず口をつけてしまい、直後父に捕まれ、拳をグリグリと押し付けられた(痛かった)人前で怒られ、恥ずかしい思いをし、今でも人前では頭が真っ白になる。あがり症だと思う。
父とは酷く怒られることが多かったからか、幼い頃から距離があった(自分が距離をおいている)幼い頃は父親が絶対だったのに、大人になってからダメなところばかり見えるようになり、母も手を焼いていてその溝は余計にひろがるばかり。
わたしはもっと友達のような関係になりたかった。
大人になってから父が大嫌いになったが、そんな父の嫌いな部分に似ている自分もいることに嫌気がさしている。自分が家庭を持って子供を育てると少なからず似たような育て方をしてしまい、自分のようにコンプレックスの塊のような人間になるのではと考えてしまう。
親との距離があったので、愛とか、自分以外の人間に対する感情が限りなく欠落しているように感じている。
罪悪感を解消した方法
○他のことをして紛らわせた。
楽しいこと、好きなこと、極論寝た
時間が風化してくれるかなと思ったか、20年経った今でも鮮明に覚えているからなくせはしないと思っている
○好きなことをする
テレビを見る(バラエティなど)
お笑いを見て笑う、映画を見て泣く、アニメを見て集中するなど、そこから思考を離すことが多い
でも逆に、この行動は物事に向き合わずに逃げ癖がついてしまった一因なのかなとも思う
○寝る
寝ると頭がスッキリして物事の見方が変わることがあるから
深刻さによって効果はない
○お風呂、歩く、音楽を聴く
無心でできる行為をしていると思考が落ち着いてくる
あとは嫌な出来事を忘れて楽しいことだけを考える
○ノートやメモに思いついたことを片っ端から書いていく
思考がクリアになって若干スッキリする
YouTubeなどで病んでる時の解決方法などと調べるとよく出てくる
○ネットで解決方法を調べる
最終手段だがいちばん効果てきめんだったりする
いっぱいいっぱいの時は冷静に解決方法を考えられないので、非常に助かる
毒親とは今すぐ縁を切れ
男性 会社員 毒親と関わった年齢:50歳
罪悪感あり
体験談
職場の同僚の自宅に電話を入れまくり、私のプライベートの関する話を同僚たちに言いふらし、私の様子を職場の同僚たちから聞き出し、さらには取引先にまで電話を入れてしまう。また、近所の人らや親戚などにも同様に私の話を言いふらしまくるので、街を歩けなくなった。部屋の中やカバンの中まで逐一チェックされ、そのことについてもあらゆる人に言いふらしてしまう。また興信所や探偵を使って私の尾行や張り込みを行なってしまいます。最終的に堪忍袋の尾が切れて、縁を切ってしまいました。何度も何度も謝罪するように要求しましたが、毒親は謝罪するどころか、反省すらしていません。今後将来に渡っても、毒親とは関わることはないでしょう。
罪悪感を解消した方法
まず毒親とは縁を完全に切ること。電話番号を変える、メールアドレスを変える。可能であるならば引っ越しをすること。しかし住所に関しては調べることができるようで、何度引越ししても知られてしまいますが。住民票の閲覧制限は警察関係に依頼しなければいけませんし、そうそう簡単にはできないです。毒親が連絡を入れた人らとは付き合わないこと。なぜなら毒親に私のことが報告されてしまうため。不審な行動を感じた場合は、すぐさま抗議をすること。勤め先や趣味の仲間とかは、毒親に知られてしまうと連絡を入れられてしまうので、警戒心を怠らないこと。こうした対応をとっても、日々、今までに毒親がやってきた異常な行動、苦しめられた経験がが頭に浮かんでくるので、何か夢中になれる趣味を持ち、常に趣味のことを考える癖をつけること。
毒親と罪悪感の関係性
女性 会社員 毒親と関わった年齢:2歳
罪悪感あり
体験談
実の父と母が毒親といえるタイプの人間かと思います。父親はアルコール依存症で小さいときから出かけたり遊ぶ約束をしても飲んでしまうので出かけられない、そもそも酔っている時に約束をしているので覚えていないという状態でした。母はそのような父に対するイライラもあってか、精神的に不安定で自分の感情で子供を叱ることが多くありました。同じことをしてもものすごくヒステリックに長時間怒られる時とそうでない時、また兄弟間での怒り方の違いも多々あったので常に顔色をうかがいながら生活することが多かったです。こちらが意見をすると火の着いたように怒るのでなるべく意見を言わないように母の言う通りに生活をすることを大事にしていました。
罪悪感を解消した方法
自分がいろいろ選べる立場だったり多様な選択肢があると贅沢に感じてしまい罪悪感を感じるので、なるべく辛かったり厳しい環境に身をおいてその選択肢を選ぶほかない、という状態にして罪悪感を紛らわせています。その為に必要以上に我慢してしまったりパワハラやセクハラなど悪意を持って接してくる人との距離が近くなってしまう事が多く、生きづらい部分があるなと思うことも多いです。人間関係では相手が優しくしてくれたりプレゼントを頂いたりすると、必要以上に恐縮してしまい自分だけがもらいっぱなしでいいのかという罪悪感を強く感じます。なのでほんの少しのギフトでもお返しをしないと気がすまず、また向こうが何も持ってきていない時にも渡すこともあります。
毒親の悪影響は最期まで消えないかもしれない。
女性 無職 毒親と関わった年齢:10歳
罪悪感あり
体験談
自分の親が毒親でした。
母親は私が幼い頃に離婚し、父親はDV男でした。
自分の機嫌が悪いだけで、私や自分のお客さんや私以外の家族や友人などに当たり散らかすような人でした。
私は実娘なので、それが当たり前でした。
普通の父親がわからないのです。これも毒親の嫌なところだなと思います。
機嫌が悪い=嫌なことがあったというより、自分の思い通りにならないとか誰かを否定できなかったという感じでした。
誰かを否定することで自分を優位に立とうとする。他人を洗脳して、意味のわからない理論を押し付けて、手が付けられなくなって友人などは逃げますが、家族の私はそう逃げられませんでした。
行政の手を借りて何とか会わないことに成功しましたが、今も被害を受けている家族がいます。
DV被害受け中は、感情を無にすることが大事でした。考えしまうと痛いので。
洗脳は他の社会との関わりで解けていきました。
心をちゃんと壊したので、どれだけ取り繕って元には戻らないんだと思います。
罪悪感を解消した方法
自分の存在意義を否定されることが当たり前だったので、些細なことで私が悪いんだ!と思って、罪悪感を感じやすくなりました。
よく漫画などであるスカッとする話。家を出た主人公は努力をして幸せになって、毒親は人生が終わる寸前になるっいうやつ。あれは中々現実には無いんじゃないかなと思います。
毒親の影響はすざましいものです。特に、毒親以外に親的存在がいない場合は、その親に育てられた人間も大抵は頭が抜けてたりおかしくなっていると私は思うからです。
毒親に耐える能力は、いつか幸せになってやる!なんてものじゃ大抵耐えきれないからです。さっさと、離れることが1番だとは思うけど、じゃあ(多分制限が多い)施設に行ったら幸せになるか?と言われればそう断言もできない。
罪悪感を紛らわす確実な方法はまだ見つけていませんが、何かに没頭することや罪悪感がないフリに慣れることかなと思います。
ただ、私は毒親の後遺症は、確実に残ってしまうものだと思います。
なので、完璧に罪悪感を消せなくても、そういう私でもいいかな?と思っています。
毒親は、子供の喧嘩には手を出すな
男性 会社員 毒親と関わった年齢:9歳
罪悪感あり
体験談
当時、隣に住んでいた同級生が生意気な男子で何かにつけては自慢してくるので近所の同級生や年上の友達とイジメていたんですが、ある日隣に住んでいた同級生にけがをさせてしまい、家に怒鳴り声で父親と入ってきた。自分の息子は悪くないと言ってきたが、そいつが悪いのもあるので喧嘩両成敗なはずが、それをきっかけに生意気なことを言ってもうちの子はそんなこといっていないと一方的にいってきて引っ越しをするまでずっと続いた。僕だけではなく、それは周りの近所の家にも来るようになり男女どもに嫌味を言われるようになりました。
引っ越ししてから、そいつがどんな生活をしているかは解りませんが毒親がその後も棒弱武人なことを言っていたらしいです。
罪悪感を解消した方法
僕にとっては、罪悪感というよりも友達にけがをさせてしまったことでありその友達の毒親が自分の子供が何をしても正しいということが許せなかった。友達同士は、そんなに言わなくてもいいじゃないという意見が許せなくて友達と仲良くするけど友達の両親とは仲良くすることはしないということがその一軒でありました。喧嘩するなら、武器を持たずに素手でいこうということが友達にけがをした際に解ったので怪我をさせる前もさせた後も謝罪するようになった。しかし、謝ったら気持ちが晴れるかというとそれは特にないので紛らわせるということがあまり解らないので、その喧嘩で終わったら何があっても蒸し返さないようにすることが紛らわせることかと思います。
毒親の消化、自分を大切に。
女性 自営業 毒親と関わった年齢:10歳
罪悪感あり
体験談
自分の親が毒親でかなり辛かった。今を思えば少し精神的DVも入っていた。例えばよその子の〇〇ちゃんはこんなことしてるのにあなたはどうとか。
また、悲しいことがあり大人の対応を取っていたら「あなたって感情がないのね」と言われてかなりショックをうけた。
現在30代で親の立場になったのでもしかして同じように思うかと考えたが、全くそんなことは思わない。むしろそんな事を言われていたなんてかなり心が重い。
また、親との関わりもあまりなく子供だけとりあえず顔見せに行こうと考えるだけで自分は世話話程度が変わるのみ。
今でも毒親っぷりは健在でドン引きである。最近では義務と責任を果たしてないといい、父親はいつも瞬間湯沸かし器である。
罪悪感を解消した方法
友達や現在の家族の存在が大きいです。
旅行や温泉に連れて行ってくれたり、辛い時は電話をくれたりした。一時期は本当に学業とバイトと家の中でごちゃごちゃな心だった。
現在では旦那さんが自己肯定感を上げる言葉掛けをしてくれている。
旦那さんは、アメリカ出身で常に前向き、ポジティブ、自分はできる!私は素晴らしいと自らも問いかけ、私自身もたくさん褒めてくれ、言葉のシャワーではないけれどそんな温かい気持ちにさせてくれます。
また、子供を産んだことにより、助けを求めることはできなかったが、自分の子どもには同じようにさせたくないとしっかり心に刻むことで、罪悪感を紛らわせているのだと思います。
あとは、音楽を聴いたり演奏したり自分の好きな事をする。これにつきます。
毒親から人生をコントロールされる
女性 会社員 毒親と関わった年齢:20歳
罪悪感あり
体験談
実親が子を支配したがる毒親でした。
進学先や将来就くべき職業について親の理想を押し付けられ、それ以外の選択肢を選ぼうとすると不機嫌になり、「何のために産んだと思うんだ」のような発言を繰り返したかと思いきや、「勝手にしろ」と何日も無視をされると言った対応をされてきました。また、親の体調や気分によって怒られる理由がコロコロと変わるため人の顔色を窺う癖がついてしまいました。
20歳で実家を出るまで、常に不安や苛立ちを感じていたと思います。当時はこれが普通の家庭で、不安を感じる自分が弱いのだと思っていました。しかし、大人になってから何人かの友人にこの話をしてみて実家の環境は良い物ではなく、親は「毒親」と呼ばれる存在なのだと気づきました。
30代になった今でも人の顔色を窺う癖は抜けず、当時を思い出して不安を感じる瞬間も多いです。自身の生きづらさについて、親に恨みを感じることもあります。一方で十分な衣食住サポートや大学進学までさせてくれた親を恨むのは贅沢すぎるのではないかと感じることもあります。そんなことを常に考えてしまうせいか不安感がずっと拭えず希死念慮を抱えており、定期的にメンタルクリニックに通っています。
罪悪感を解消した方法
罪悪感や不安を感じた時にはとにかく考え事をしないように何か作業をするようにしています。単純作業であったり、話すようなものが良いです。単純作業はただ手を動かすような作業だと頭では考え事をしてしまうため、頭を使う作業(計算やゲームなど)が適しています。話す作業は、相手がいなくても自分が口を動かす(=頭の中で不安ごとを考えないようにする)ことであればなんでも良いので、人との通話などでなく配信アプリでの配信でも良いです。
ただ、これらの作業は生産的なものではないためふとした瞬間に虚しさを感じることもあります。そういうときには上記の作業ができる精神状態ではなくなっているのでとにかく眠る、または食へ逃げます。食へ逃げる場合はコンビニでお菓子やジャンクフードを買ってきて好きなだけ食べます。
これらの作業は全て逃避です。
未だに根強く残るインナーチャイルド
女性 自営業 毒親と関わった年齢:17歳
罪悪感あり
体験談
当時父親は重度のうつ病および精神疾患を患っており、とにかく感情の起伏が激しく、常に父親の機嫌を伺いながら毎日を過ごしていました。
ストレスや機嫌が悪いと、家族団欒の食卓は一気に地獄へと変わり、テーブルをひっくり返したりものを投げたり、全くと言っていいほど安心して暮らせる環境ではありませんでした。
薬の服用が増えると、同時に私たち子供への暴力もさらに過激化するようになり、命の危険から高校2年生の時についには実家を出なければいけないほどになりました。とにかく常に恐怖心に怯え、いつか殺されてしまうんではないかという気持ちの中暮らしていました。
大きな物音や怒鳴り声には人一倍敏感になり、普通の人なら当たり前に感じるような“家族を持ちたい”という気持ちはその時からなくなりました。
罪悪感を解消した方法
父親が怒ったり暴れたりするのは、自分が良い子供ではないから、自分に欠点があるからこのような状況になってしまったのではないかと、
常に自分を責めたり、自身の存在にとてつもない罪悪感を感じるようになりました。
そのため、学校での成績は常にクラスのトップをとるよう勉強に励み、楽しいはずの学校生活も常にプレッシャーを感じながら過ごしていたのを15年以上経った今でも鮮明に覚えています。また完全に男性優位の家系であったため、女性であるという理由から家のこと、家事や掃除を常にパーフェクトにこなすようになりました。幼いながら母親を助けたいという気持ちが常に働いていたため、小さい頃から料理、洗濯、家事をやりきるようになました。
何が恥ずかしいの?スイミングで出会った毒ママ
女性 主婦 毒親と関わった年齢:32歳
罪悪感あり
体験談
スイミングスクールで、子どもの着替えを待っている時、更衣室から出てきた子どもに「なんでちゃんとやらないの?お母さんは恥ずかしい!」と言う声が聞こえて驚きました。ふと見てみると、同じクラスの男の子とそのお母さんでした。
その男の子は、確かに集中して頑張るタイプの子ではなく、遊んだりぼーっとしたりとかもあるような普通の子でしたが、ちゃんとコーチの方をむいて話を聞く等、私や私の息子から見ると随分頑張っている子だったのですが…。
もちろん、他のご家庭なので、基準はそれぞれでしょうが、よくわからず下を向いているのを見ると辛そうだなと思いました。
怒らない子育ては私自身できる自信はありませんが、子どもの顔が分からなくなるような怒り方をするのは、子どもの興味の芽を摘んでしまうし、何より周りの空気が悪くなってしまうのでなるべく控えたいな、と思いました。ちなみに、何が恥ずかしくて怒っていたのか、いまだに分かりません。
罪悪感を解消した方法
怒っているお母さんから助けることは…。できませんでした。
そこはやっぱり家庭が違いますし、「いやいやお母さん、この子は頑張ってますよ」なんて止められるのはコーチくらいしかいないと思います。
ただ、別の日に「今日もがんばってたね~」などお話したりお菓子交換したりはしました。スイミングに行くことが少しでも楽しい思い出になってくれるといいんですが。
子どもとの距離が近すぎるとまわりが見えなくなってしまうのかな?と思います。あくまで子どもは子ども、自分は自分。子どもなんて親の思い通りにならないことの方が多いですよね。
かくいう我が家も、マイペースすぎる子どもに毎日のように怒ってしまいます。中々やらない宿題、片付かないご飯、冷めてしまうお風呂、ギリギリになる登校…。もう、人のことなんて言ってられませんね。うちも毒親かもしれません(笑)
怒りたい!というストレスと戦うのも、子育てのスキルなんですかね。
「親選び、やり直したい」
女性 会社員 毒親と関わった年齢:0~35歳
罪悪感あり
体験談
産まれたときからですね。まさにうちの母親は毒親で、なんでも私と弟を自分の思い通りにしようと強制してきました。
周りの優秀な子供を持つ母親軍団に入り込み、とにかく我が子(私と弟)を、その子どもたちと同じレベルに育てようと必死でした。
父親はアル中でしたので、そんな親から産まれた私達が普通の家庭に生まれ育った子どもたちと同列になんかなれるわけがありません。
毎晩のように夫婦喧嘩で怒鳴り声が聞こえる家・・・。そんな落ち着かない家庭でどうして「優秀な子」になれるでしょうか?
それでも、教育のために(というよりは、ほぼ自己満足のために)教材をいくつも買ってきたり、無理やり勉強させ、できないと「こんなのもわからんのか」「バカだな」「所詮、あのおとう(父)の子か!」など、ひどい罵声をあびせるばかりか、まだ小学生の私が「友達とケンカした」というと「誰もあんたなんか好きじゃない」と言い放つ母親だったのです。今でもその言葉がトラウマです。
罪悪感を解消した方法
「私がダメだから誰も私なんか好きじゃないんだ」と、心を閉ざす時期がありました。
実際私は父親似で、頭は悪いし、運動もできないし、取り柄らしいものなんかありませんでした。
できることといったら「動物が好きで面倒見が良い」ことと、「文字を書くのが好き」なくらいでしょうか。
「ダメな子」というレッテルを家で貼られ、当然毎晩夫婦喧嘩してる声で起きるわけですから、学校でも寝てばかりで宿題なんかもよくやらないでいたし、とにかく「普通」とはちがいました。「ダメな子でごめんなさい」という罪悪感は常にありました。
たまに頑張っても褒めてもらえず「そんなの出来て当たり前」「〇〇ちゃんはここまでできるってよ!」という冷たい言葉しかもらえませんでした。常に「ダメな子」と言われ、罪悪感がありました。でも、どこをどうしていいかわからなかったです。だって勉強は苦手だし、運動も苦手だし。けど母親の基準は「勉強ができる子がいい子」でしかなかったので、どうしても「ごめんなさい」の気持ちが抜けませんでした。
虐待を受けてきたこと、その連鎖を断ち切りたい。
男性 団体職員 毒親と関わった年齢:15歳
罪悪感あり
体験談
毒親と関わった年齢を15歳としました。しかし、もしかしたら私が生まれたから母が亡くなるまで45年くらいが毒親と関わった時期とも言えます。関わった年齢を15歳としたのは母が明確に自分に対して迷惑な存在として認識しだしたのが、その年齢でした。両親は離婚していたのですが、母は明らかに暴力団の男性を家に何人か、かわるがわる連れてきました。よく母は私に理不尽なことをしてきました。私が文句を言うと、連れてきた(ほとんど家にいりびたっていましたが)男に暴力を振るわれるという事が繰り返されました。やがて男は母にも暴力を振るうようになったので、夜逃げ同然で引っ越すことになりました。その後も私に対する理不尽な物言いは母が亡くなるまで続きました。
罪悪感を解消した方法
母のことは、ずっと許せなかったです。今でも思い出すと怒りが沸いてきます。当然、母の生前は優しく接することが難しかったです。母とは一緒に住んでいましたが、別々に住んで欲しいと何度も言ってきました。ずっと普通の母親に対するような接し方は出来なかったです。しかし母が亡くなり今になって、母にも気苦労があったのではないかと思うようになっています。現在、私は三人の子供がいます。上の子、二人は社会人となっていますが、子育てのプレッシャーは相当なものでした。うまくいかないことも多く、大変な思いもしました。もちろん母のことは許せたわけではないですが、そうしたことを考えなかった事に罪悪感をおぼえることがあります。そんな時は母の気苦労を思いつつ、冥福を祈ることで罪悪感から逃れています。
毒親と関わったときに罪悪感がなかった人の体験談
悲劇のヒロイン参上。
男性 会社員 毒親と関わった年齢:23歳
罪悪感なし
体験談
私は物心がついた頃から両親が離婚していて父親が居らず、母親の実家(祖母の家)で小学校に入る頃まで母と祖母と兄と3人で生活していました。
しかし母と祖母の仲が非常に悪く、私と兄の前でもいつも喧嘩をしていました。
そのことも原因となり私が小学生に入りすぐ頃に祖母の家から兄と母と私は引っ越すことになりました。
しかし母の収入は少なく、引っ越し先はかなり古い団地でした。
ガス、電気、水道は通っているものの給湯を整備することもなく蛇口からお湯は出ないし浴室にはシャワーもなくエアコンなどの空調設備それにテレビもありませんでした。
祖母の家もそれなりに古く、けしてよい生活ではありませんでしたが、引っ越しでの生活はかなり貧困で最悪の生活でした。
母の収入が少なく切り詰めた生活をするのは仕方ないですが、母は私の前で常に毒を吐くのです。
あなた達子供を育てるのにどれだけ苦労してるかわかるか?
あなた達子供を必死に育てるのにもう母の体はボロボロです。
など私が幼少期の頃から社会人になり家を出るまで期間、母は私に毒を吐き続けました。
罪悪感がない理由
母が1人で苦労してきたのは母と父が離婚したのが原因です。
しかしそれは私が産まれて間もない頃の話で、離婚したのは私の原因ではありません。
母は悲しい人間で自分が不幸になったことをいつも誰かのせいにしていました。
離婚をしたのは父のせい、祖母と喧嘩をしたのは祖母が悪いから。
母が苦労しているのは子供のせいです。
しかし私はその様な被害者の思想を押し付けられても罪悪感には浸りません。
母が片親になったことも祖母と上手く行かずに家を出ていったのも母自身に原因があり、勝手に悲劇のヒロインになっているだけだと思います。
逆にその様な被害者の思想を押し付けられた私のほうが被害者だと思っており、幼少期の頃は罪悪感よりも怒りの感情のほうが強かったですが自分も成長するにつれて怒りも通りこして、この人には何を伝えてもダメだと呆れや諦めの感情を抱いてしまいました。
絆を求めて漂流する20年
男性 無職 毒親と関わった年齢:20歳
罪悪感なし
体験談
私が小学生の頃、父親が病死しましたが、その後すぐに知らない男を家に連れ込むようになりました。母親は常に借金を重ね、その原因の一つが宗教への傾倒です。宗教団体への多額の寄付は、しばしば家族の財政を圧迫しました。親は借金を返済するためには平気で虚偽を述べ、時には詐欺に近い投資へとお金をつぎ込むこともあります。私が貸したお金も戻ることはありませんでした。このような状況は20年以上も続いており、親子の絆というものはほとんど感じられない状態です。愛情というものを感じることはなく、ただ淡々とした関係が続いています。経済的な困難はもちろん、感情的な支えがないことも大きな苦痛です。私はこの状態をどう受け止め、どのように対処していくべきか、日々考えています。
罪悪感がない理由
罪悪感を感じることはありません。その理由としては、私の状況は自己選択によるものではなく、親の行動が招いた結果であると考えているからです。私は幼い頃から親の不安定な経済状況や、それに伴う家庭内の緊張を目の当たりにしてきました。また、借金や宗教への過度な寄付など、親の選択により家族が直面した困難は私の責任ではありません。そのため、私自身の生活を守るために、ある程度距離を置くことが必要であると判断しました。このような状況では、自己保護のための境界を設けることは自然な反応であり、罪悪感を持つ必要はないと感じています。親としての責任を果たさなかった結果、親子関係が希薄になったことに対する負い目もありません。むしろ、この状況を乗り越え、自己成長に繋げることに注力しています。
思春期の子供には優しくした方がいい。
男性 学生 毒親と関わった年齢:17歳
罪悪感なし
体験談
高校生の頃、自室にて勉強をしていたところ、両親が鉄パイプとハンマーを使ってドアを壊して部屋に入ってきて、母親には暴言を、父親には暴力を振るわれたことがある。また、暴言や暴力は一度ではなく、何度もあったため、それを原因に不眠症になってしまった。また、受験を意識する学年だったため、勉強をしなければいけなかったが、大きく成績を落としてしまい、自己嫌悪に陥った。周りには相談できる友達がいたものの、解決策を見出すことはできずに不安なまま高校卒業まで過ごした。その時の感情としては卒業までの時間を耐え抜こうと決めたものの、そのたった半年間がとても辛く挫けそうだった。体調を崩したとしてもそのことを伝えたくないがために学校に自分で連絡して保健室に通うこともよくあった。周りの友達に相談した際にも必ず割り切って生活するべきだと言う結論になり、解決したようになってしまうので、その友達の前では明るく接していくようになり、自分の辛さを聞いて貰えばもらうほど苦しくなるというループが辛かった。
罪悪感がない理由
私は性格上罪悪感を感じやすいと思うのだが、大抵の立場から見た時に両親の方が悪いという認識だったため、罪悪感はなかったと思う。親や環境に責任を押し付けて責任逃れをするのは嫌いだったが、それを避けると精神衛生上非常に良くなかったので友達に面白おかしく愚痴を言うなどして吐口を作っていた。また、大学生になり、当時の環境の異常さに驚いているため、今も罪悪感を感じていることはない。また、罪悪感を紛らわせる方法としては日記を使っていた。毎日の起きたことやそれに対して感じたこと、そのことによる感情の変化を綴ったが、毎日内容は酷いものだったので、もし自分が自殺した時にこれを両親が見つけることで両親は罪悪感をどれだけ感じるのだろうとも考えていた。
重たい親子関係に悩む娘
女性 会社員 毒親と関わった年齢:18歳
罪悪感なし
体験談
私が高校3年生、進路について考えている時のことです。私は成績が良い方で、テストの度に各教科ごとに上から50位までの生徒の名前が廊下に張り出されるのですが、毎回名前が挙がっていました。特に数学では学年トップを取ったこともあります。某大学の付属高校に通っていたこともあり、担任からは付属の大学へ推薦したいから是非行ってみないかと話がきていました。私の成績が良いことに気分を良くしていた母親ですが、推薦してくれるという大学は県外だったため猛反対でした。担任から両親が学校へ呼び出され、付属大学への進学をと説得されたのですが、過保護で私に依存している母親は「この子を手離したくない!」の一点張り。「私の見えない所へ行ってしまったら糸の切れたタコのようになってしまう」と大騒ぎし、結果地元の学校へ進学しました。
罪悪感がない理由
当時学生だった私は自分の母親の異常さに全く気付いていませんでした。県外に進学したかったものの、これほど反対されるのはそれだけ可愛がられている証なのではないかと思っていたのです。親の言う通り地元で進学した自分は罪悪感など全くなく、むしろ良い子なのだと思っていましたし、母親も喜んで「県外に行かない代わりに欲しいものは何でも買ってあげる」と言い、自動車学校のお金を出してもらい、免許が取れるとフォード社の新車を買ってもらいました。実際に自分の母親がおかしいのではないかと気付いたのは成人してからです。狭い家庭環境、親子関係は恐ろしいと今ではつくづく感じていますが当時は何も感じることなく過ごしており、悩まずにいた事が逆に幸せだったなと思うほど
です。
パチンコ屋に入り浸る父母
男性 会社員 毒親と関わった年齢:10歳
罪悪感なし
体験談
私が小さいころ(幼稚園の時)から父母はそれぞれお互い隠しあって毎日パチンコにドはまりしていました。幼稚園が終わりバスで近くに降ろしてもらい、家に帰るも誰もいない日が毎日でした。外で一人で泣いて待ってる日もあれば、トイレの小さい窓から家に入って(一歩間違えば大けがする)、勝手にお湯を沸かしてカップ麺を食べている日も多かったです。怪我したり具合が悪い時は近くの親戚の家に行き、パチンコ屋に電話で母親を呼び出し…。そういう日が中学入るまで続きました。母は19時過ぎても帰ってこないし、それに父は激怒して私に暴力を振りました。小5の頃になって反抗期をむかえた頃私は不登校になりました。休んでバレても暴力。でも何もしなくても結局暴力を振られるので何も怖くなくなりました。
罪悪感がない理由
こんな父母に育てられたからか罪悪感はほぼありませんでした。学校に行かないことに関しても何が悪いのかわからなかったです。学校を休んで母親に付いていくとパチンコの邪魔なのか必ず1000円をくれるので私はそれでゲームセンターに行ったり、食堂でよく一人でご飯を食べてました。そういうことがほぼ毎日になって友達から学校に来いとか電話きたり、先生が家に来ることもしばしばありました。それでも私は帰ると一人で暗くなるまで外で待ったりしてないと思うと休んで母について行った方がましと思い休んでパチンコ屋について行っていました。それが高校行った時に私の人生は大きく変わりました。不登校癖は相変わらず直らず、一年留年していまい大好きだった友達と離れてしまいその時これが間違いだったと気付きました。
自分の子供を児童相談所に送った毒親
男性 自営業 毒親と関わった年齢:50歳
罪悪感なし
体験談
教育関係に携わっているので保護者と会うことは良くあるのですが、自分の子の面倒をほとんど祖母に任せて自分は別居してマンションを借りて住んでいた母親がいました(父親はとうの昔に離婚しています)、その祖母が亡くなってしまった後は渋々子供と住んでいたのですがとにかく子供に酷い言い方をしていることが気になりました。この子供も少し障害のようなところがあり、不登校で学校をさぼりがちなところがあったのですが、この最終的には子供の留年が決まった瞬間に子供を退学させて自分の子供を児童相談所に送ってしまい「二度と関わりたくない」という捨て台詞を吐いていた時に「毒親だ」と感じました。いつも「子供と一緒に暮らしたくない」と言っていたことが印象的でした。
罪悪感がない理由
罪悪感は特に感じませんでしたがこの子がかわいそうだと感じました。ただこの子もこの子で不登校気味だったのでこの母親をさかなでるような態度や言動を取っていたので正直「いつかこうなる」とは感じていたことは確かです。この母親からは良く”愚痴”のようなものを聞かされてきましたが、その言動がとにかく自分中心で、この言動の根底に子供を愛しているようなものをほとんど感じ取ることが出来なかったことが「毒親」と感じるに至ったところです。もしかしたらこの母親は自分の子供に試練を与えるべくこのようにしてきたのかもしれませんが、どうも普段の言動からそれを感じることはなかなか出来なかったです。いろんな保護者と会って来ましたがこの母親が最大の毒親です。
大人になって気がついた私の母は毒親
女性 自営業 毒親と関わった年齢:30歳
罪悪感なし
体験談
姉のことを甘やかして育ててたので妹の私はいじめられていますが、メンヘラ気質のある母なのでいじめられ役に徹しています。子供時代は逆転したりした時もあるものの、それはそれでメンヘラによる妹びいきとなり姉は非常にイライラしていたという体験もあるので、大人になってからは姉が私を慈愛の目で見れば母も同様にしてくれる、逆に姉が私を嫌うと母も私を嫌うようになっていました。例えば、姉の嫁ぎ先に行くと姉が私を嫌うので母が姉に現在妹が来たと、姉へとフォローします。母からは話の合間に嫌味が入り、猫にまで嫌われているの?とか、姉は私を嫌っいるとか口にすることもあります。母としてひどいとは思いますが母も一人の人間、業を持ち子供がどうすることもできないという気持ちにさせられるのです。母は私意外の人間関係においても同じで、私としては母親なので肉親として周囲との関係を築くことができない母に代わって周囲への罪悪感や、悩みはあります。
罪悪感がない理由
母への罪悪感はないです。時々子供時代にこうしてあげたらよかったということが思い出されます。一点はもっと家事を協力してあげるべきだったことですが、他にも身内だからと言ってかわいそうだから言わないのではなく、きついことであれども、お母さんは表面的には人間関係が甘い、優しいけれど自分に嘘をついているので見ていて辛いことや、自分を大切にしてほしいことを伝えればよかったです。後、親に対して子供のように責任を感じるとしたら、罪悪感もあります。それは母親が私含めてごく近い人間関係を切るところについての切られた人や事への罪悪感です。これは家族、親族の繋がりを絶えさせることにつながるという意味で、母親個人の問題を超えているからです。
自分の親が毒親だった
女性 会社員 毒親と関わった年齢:3歳
罪悪感なし
体験談
私の父が毒親でした。躾の際に殴る、片付けないからっておもちゃを本当に捨てる、薬を飲みたくないから嘘ついたら学校の行事に行くなと命令、風呂沸かしに失敗した罰に祖母の迎えに連れていってくれなかった、公衆の面前で叱責された、正月の親戚たちの集まりで泣いたのを理由に歳の近いはとこと遊ぶ約束したのに連れ帰ろうとした、私の声が大きいのは生まれつきなのに事あるごとにうるさいという、家族で行くクリスマスディナーに私はテスト期間中だから連れていかないと私をないがしろにする。私が流石にキレ、「お父さんなんか嫌いだ」というともう絶対何処にも連れていかないという。、人が寝ている時に朝から大音量でヘビメタ聞いて安眠妨害という常識的に有り得ない事をする。他にもあった気がするが覚えていない程の酷い事を父親にされた。私が父親はおかしいと思い始めたのは高校生くらいからで、決定打は大学生時代に「毒親」の概念に触れたことで父親が毒親だと気付きました。そして父親との仲が修復不可能になったのは社会人になってからで、自分がうつ病だからって私にもうつが酷くなろうが働かせる、それが祟り身体を壊し、休職中なのにあいつはいつ働くのだと復職への圧力かけてくる。親子喧嘩をしただけで収入がまだ安定しない状態なのに実家を追い出した。そのときの私はニートではなくフリーターとwebライターの二足のわらじで少ないながらも稼いでいるにも関わらずニートとか言ってくる失礼極まりないことをされ、就活なんて自分の力だけではどうにもならないのに就職までの期間決めようとする私に「働かないなら○す」と言っているようなことをされました。私はもう、積もりに積もった怒りや憎しみが暴走して、父親を○すしかないと思いました。今は母や母方の親族の力を借りて一人暮らしを始め、仕事も決まったので父親絶対に許さないというところにまでは落ち着きました。
罪悪感がない理由
罪悪感などありません。今だからこそ分かるけれど父親は昔から異常でした。自分だけがかわいいと考えている。家では本当に暴君。絶対に謝らない。人間性を疑う。稼いでいるからって私や家族に対して何でもしていい理由にはならない。そもそも家族とは横の関係が正常であるのに自分が稼いでいるから、うつ病だからといって縦の関係を作り、それを私たちに強制したのがそもそもの悪。そして身体を壊し、休職中なのにあいつはいつ働くのだと復職への圧力かけてきたり。親子喧嘩をしただけで収入がまだ安定しない状態なのに実家を追い出したのは人の道に外れる行いであり、それを理由に父親は母の実家を実質出禁になった。だから私が外道毒親に頭を下げる必要はないと考えている。
結婚までの毒親との奮闘記
女性 主婦 毒親と関わった年齢:27歳
罪悪感なし
体験談
結婚すると言ったら態度が急変。全く口をきいてもらえなくなり、なぜ怒っているのか、口をきいてもらえないのか、と聞いても無視。結婚前のいちばん幸せな時間を鬱のような気分で過ごして辛かった。婚姻届の保証欄にサインお願い、と父に渡してリビングに置いていたら、邪魔だから置くなとポイっと捨てられそうになった。何度話そうとしても逃げるようにされ、話し合いにすらならず。入籍日当日は叔母がケーキを買って届けてくれ、あんたにもケーキ買ってくれる人がいて良かったなと言われた。今日でこの家の人間じゃなくなったな、と捨て台詞のように言われたことは衝撃的すぎて身体が凍りつくようだった。幼い時から全て母の言いなり、自分の意見は一切聞いてもらえず、高校の部活も成績を理由に勝手にやめさせられ、いつも不満しかなかった。
罪悪感がない理由
私は悪いことはしていない。むしろ、ふざけんなと思っている。夫が転勤族のため、最初の勤務地こそ知っているものの、その後の転勤は一切言うつもりはなく、勝手に引っ越してやろうと思っている。子供が生まれても、あんな態度を突きつけられて、誰が孫の顔を見せるか!と心に決めている。結婚するって言ったときに認めてもらった覚えがないし、、、と言っても、反対なんてしてないけど?あんたの勘違いじゃない?と一方的に向こうの良いような解釈をされるため、今後関わりたくない。私たちの老後の面倒はあんたがみてくれると思ってたのに、、、とかいうので、絶対に行方をくらませて面倒はみない!と心に誓っている。罪悪感なんて全くない。し、そんな感覚も湧いてこない。
毒親を改心させる手立てがない
女性 会社員 毒親と関わった年齢:40歳
罪悪感なし
体験談
父親は自分が一番偉いと思っている人だったので幼い頃から苦労しました。まずプライドが異常に高く「ありがとう」「ごめんなさい」が言えません。嫌な事は家族にやらせたり言わせたりします。今でもその性格は変わらず。ですが、そんな父もだいぶ年老いました。このまま家族が迷惑を被ったまま死なせてはいけないのではないかと考えるようになり、「あの時言われた言葉で傷ついた」「あの頃の行動がとても迷惑だった」と伝えるようになりました。何を言っても父は「忘れた」の一点張りですが、それでも言うようにしています。人は自分にとって都合が悪い事は記憶をすり変えることがあります。父もそうして生きているのかなと思うととても悲しくなります。
罪悪感がない理由
罪悪感はありません。父の方にあるのだと思います。今現在、家族・親族誰からも相手にされず一人で暮らしています。因果応報と言えばそれだけなのですがなぜ自分の家族をはじめ周りの人をも見下すのかが分かりません。自身の無さ・気の小ささがそうさせているんだと思いますがだからと言って人に迷惑をかけたり傷つけてはいけません。罪悪感をしっかり感じて今までの長い時間を人を見下して来た事実を認め、きちんと謝罪してほしいです。今でも父は反省した様子はまったくなく、「女は男より下なんだから言う事を聞け」大きな態度を取り続けています。その翌日に自分に困ったことが起きると普通にメッセージを送ってくるので、人格がそれがとても怖いです。
言葉の使い方で人は変われる
男性 無職 毒親と関わった年齢:50歳
罪悪感なし
体験談
ある大手個別指導塾の責任者をしていた頃に、多くの保護者と接してきました。その中で、本当に気の毒な生徒がいたのを忘れることが出来ません。当時高校3年生の男子でしたが、ほんの少しだけの知恵遅れの症状があり、母親とも相談をしてそれなりに寄り添った指導をしていたのですが、生徒同席で保護者面談をするときに、本人が隣にいるのに「この子はバカだから」とか「ろくに役に立たないとか」と言ってしまうことがあり、その度に「でも○○君だって一生懸命に頑張っていますよ」と応援するのですが、言葉の暴力と思われるような発言にには困惑したものです。親として将来を見据えて不安な気持ちになることは理解できますが、もう少し思いやるのある話し方をしても良いのではないかと思いました。
罪悪感がない理由
他人事とはいえ、やはり心は痛みました。親心としての複雑な気持ちは理解できますが、その生徒にとって、やはり、母親は唯一無二の存在であるはずです。過保護になるのもどうかとは思いますが、思いっきり、突き放し過ぎているようで、かわいそうに思いました。教室ではどの生徒にも等しく接していく事が求められますが、流石にこの生徒には他のスタッフとも話し合って、可能な限り居心地のよくなるような環境で接するように努めました。残念ながら途中で教室を辞めて行ってしまったので、高校卒業後の進路も今となっては、どのような人生を歩んでいるのか知る由もありませんが、逆境にめげずに心優しい大人になっていることを期待したいと思います。親の子供に対する言葉の使いは、恐らく、一生、子供の心に、良いにつけ悪いにつけ、残るものだと思います。持って他山の石としたいと思います。
子供のクレジットカードを使い生計を立てていた親の話
女性 自営業 毒親と関わった年齢:31歳
罪悪感なし
体験談
関わった経緯というか、私の親がそうです。具体的には26歳くらいまで、母は私のクレジットカードで毎月30万円近くをキャッシングして生活費にあてていた。支払いは分割支払いにしていて、母が支払うからと言い返済していた。私のクレジットカードを母親が持っていつでも使用できるような状態が数年続き、私はヒヤヒヤしていました。私のクレジットカードでキャッシングするのは辞めるように何度も言ったがその度に喧嘩になり、私を見捨てるのかと、まるで私が悪者かのように言われました。結局、これ以上キャッシングして欲しくなかったしクレジットカードを返して欲しかったので、私のボーナスで残金を支払いクレジットカードを取り戻しました。私のクレジットカードでキャッシングして自転車操業で生活を送っていた母親の話です。
罪悪感がない理由
いろんな人に相談しましたが、誰に相談しても私は悪くないという言葉をもらえたから。最初は母親の言う通りにできない私が悪いのかと責めた時もありましたが、やはり子供のクレジットカードを使いキャッシングして生活をする母親はありえないと冷静に考えることができたからです。毒親と関わりもし自分を責めてしまったら、一旦冷静になることが重要だと思います。私の場合は、自分に起きた事を親友に起きた事と考えてみました。そうする事で、親友が悲しんでるとか母親がひどいとか一般的にありえないとか、そもそも家族であっても人のクレジットカードを日常的に使うという行為は犯罪だと思えるようになりました。誰しも自分の母親を悪く言う事に罪悪感があると思いますが、一度他人事で考える事で冷静になれると思います。
わが子を排除し続けた毒親ときちんと縁を切った
女性 会社員 毒親と関わった年齢:20歳
罪悪感なし
体験談
私の母親は実家だけが大切な人でした。自分の夫には不満しかなく、しかし、女として夫を独占することに夢中でした。夫が父親として子どもに関わるのを嫌がり、子どもを排除しようとしていました。子どもは目障りな存在で、隙あらば「亡きものにしたい」と狙っているのが感じられました。車が走ってきたタイミングで突き飛ばされた事があります。電車が入ってきたタイミングでホームから押し出されそうになった事もあります。自分の子どもは不細工、他人の子どもはみんな美人。そんな言い方ばかりして、いつも邪険でした。だから、私も母親のことは突き放していました。「あの人」としか表現せず、「お母さん」と呼んだ事はほとんどありません。話に出すこともなく、私に存命の母親が居ると知ると、誰もが驚きました。
罪悪感がない理由
罪悪感は全くありません。愛情が母親にあったと感じられたことが無かったからです。「目には目を」を実践しているだけだと割りきっています。母親が認知症を患ったので、他界するまでの15年間は施設や病院に入れて、その手続きや最低限の世話はしました。その費用は全部私が出しました。それで世間的な義理は十分果たしたと思っています。わが家のお墓に入れるのは父も反対したので、母親だけのお墓をつくりました。お骨はそこに納めて、納骨後は一度もお参りしていません。縁を切ってせいせいしています。因果応報です。生前に家族らしいことをして来なかった人は、死後独りで過ごせばいいと思います。お墓の費用も私が出したので、私は十分に母親にお金を使ってやったと思います。
子どもを自分の思い通りにしようとする親
女性 公務員 毒親と関わった年齢:29歳
罪悪感なし
体験談
私は3人兄弟の3番目です。上の2人の兄弟は2人とも高校を卒業してからすぐに就職し、結婚はでき婚で20代前半には直ぐに結婚して子供が生まれていました。私はと言うと、4年制の大学を卒業してから就職し、20代後半になってもまだ独身でした。そんな私に対して、「自分で結婚する相手も見つけられないないなんてどういうこと?」「iいつまでも遊んでいないで早く結婚しなさい。」と私が家に帰って会うたびに言っていました。そうして私は、縁があり28歳で結婚しました。結婚式では花束贈呈の際に会場中に響き渡るように号泣する母がいました。花嫁の母が涙するのはしばしば見ますが、あまりの泣き方に参加してくださった方々は引いていました。結婚してからは、私の夫の気に入らない所や悪口を仲人さんや夫側の親戚に電話するなど、異常な行動に参りました。
罪悪感がない理由
自分も夫もひたすら耐えてきました。会うと兄嫁の悪口や自分の体の不調に対しての嘆き、私に対しての嫌味を言われるので、できるだけ実家には帰らないようにしました。楽しい話をしようとせず、愚痴や嘆きしか聞かされないのです。できるだけ実家には帰りたくないのですが、どうしても帰らなければならない時には、お土産や現金5万円を渡し、食事代や何かに使ってもらうようにしました。「もっと実家に顔を見せるように」と言われますが、一緒にいることが息苦しく辛いので、1年に1度の帰省で精一杯でした。私がやれることはやっていたので罪悪感などはまったくありません。むしろよく頑張ってきたと思います。常に自分がマウントを取りたくて、上からの物言いで本当にイライラしました。ずっと我慢してきました。
まとめ:毒親と関わったときに罪悪感があっても大丈夫
この記事を読んだあなたは、罪悪感に苛まれているかもしれません。
しかし、体験談を読んでもらってわかる通り、罪悪感があった人でも解消してその後の人生を歩んでいる人がほとんどです。
根本的に罪悪感を解消する方法は、このサイトでも複数紹介しているので、ぜひ読んであなたの未来を明るいものにしてください。
カンタンですが、科学的に正しい罪悪感の解消方法はこちらの記事を参考にしてみてください。
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