この記事は、加害者として罪悪感に苦しんだ方の体験談を集めたものです。
様々な背景や状況での加害者として罪悪感に苦しんだ方の経験が紹介されていて、それぞれの体験者が
・どのように罪悪感を感じ
・どのようにその罪悪感を解消しようとしたのか
が詳しく語られています。
考えさせられるポイントとしては、3つあります。
ポイント
・加害者となった状況はどのようなものか?
・罪悪感を感じる人と感じない人の違いは何か?
・どうすれば加害者としての罪悪感が解消されるか?
他人の経験談を読むことは罪悪感の解消に効果的です。
他の人の意見を取り入れることで、自分の状況を客観的に見ることができます。
あなたがもし加害者になったことに関して罪悪感を感じているのであれば、似たような経験を持っている人を見つけてヒントをもらってみてください。
加害者としての罪悪感に苦しんだ体験談
今も鮮明に覚えていて、消し去ることはできません。
女性 主婦 加害者となった年齢:7歳
罪悪感あり
体験談
小学校低学年の頃、近所の子供達と遊んでいた時の事です。後ろに男の子を乗せて自転車に乗って、発進する前に「行くよ!」と声をかけなかった事で、男の子が転倒してしまい、コンクリートに頭をぶつけて、血が出て!!!すぐに親を呼んできて病院に連れて行ったんですが、何針か縫う怪我で、私はもう罪悪感で、辛くて、苦しくて、今でもその時の状況や感情が蘇るくらいです。親同士も家族ぐるみの付き合いだったので、相手側に咎められる事はなかったんですが、母親からは物凄く怒られました。
罪悪感を解消した方法
子供ですから、解消する方法はその当時はとても思いつきませんでした。ただ、ひたすら、怪我をさせてしまった男の子に、「ごめんね、ごめんね」と何回も謝りました。男の子は別に怒ってなくて、怪我が治ってきたらまたすぐ、一緒に遊ぶようになり、怪我をする前と変わらない関係性に戻りました。そうしているうちに、通常に戻っていきました。けれども、男の子のお母さんの顔はそれ以来、まともに見れなくなりました。申し訳なさはずっと残ってました。
悪気がないきっかけで…
女性 主婦 加害者となった年齢:35歳
罪悪感あり
体験談
友達と一緒に数人で遊んでいたんですが、その日は一人だけ自転車を乗ってこなかった子が居ました
私と他の友達は自転車だったので良かったんですが徒歩の子を置いていってしまうといったことがあり、その子は置いていかれてしまったので嫌になったのか家に帰り両親にそんなことがあったと話をしたようで
それが意地悪でやっていると認識されてしまいました。いつもその子にたいして意地悪や虐めるといった事はなかったのでそう思われてしまって少し残念でした
罪悪感を解消した方法
意地悪のつもりでやったのではなかったので罪悪感というよりも置いていかないで一緒に歩いて自転車を押して歩いてあげたらその子も帰ることはなかったのかなと後で考えました
その後話し合いをして和解出来ましたが、悪気がなくても意地悪をされたと思ってしまう事もあるんだと気を付けるようになりました。
どういった状況だったのか両親に話すと納得してくれました、普段は仲良く遊んでいることも説明したりと少し大変でしたが納得してくれたようでした
若かった頃の自分勝手が原因のいじめ
女性 主婦 加害者となった年齢:20歳
罪悪感あり
体験談
大学生の時に、いじめの加害者になったことで罪悪感に苦しみました。同級生は真面目な女の子だけど明るくて話しやすい子でした。授業が分からなかった私はノートを貸してほしいと頼みました。するといつも「じゃあ今度ご飯奢ってね。」とか、「代わりに何をしてくれるの?」とか見返りを求めてきました。「じゃあお菓子たくさん奢るね!」とか適当に相槌して、実際にはお返ししていませんでした。すっかり忘れていたのです。そして次に会った時に「何もしてもらってないのに貸せない」とはっきり言われました。そこで私は無視を始めたのです。
罪悪感を解消した方法
最初はムカついているから罪悪感はゼロだったけれど、大人になっても「あれって私が悪いよなぁ」と感じ始めました。しかも35歳くらいになってやっとです。連絡先も知らないし今更何もできないのでいつまでも心にモヤモヤが残っています。ただ、今40歳なので5年経ってだいぶモヤモヤが薄らいできました。若かったころは自分勝手で配慮がなかったんだろうな、これからは他人に迷惑をかけてはいけないな、と噛み締めるようにしています。
友人との忘れられない思い出
男性 自営業 加害者となった年齢:23歳
罪悪感あり
体験談
大学を卒業後、研究生として残り、研究に集中しようとしていた時期の話です。学生課に履修科目の申請をして、教室に向かう時に、同級生の男子に会いました。彼は同級生ではありましたが、一浪して入学した方で、メンタル不調でさらに数ヶ月休学してから復帰した人で、やや繊細な方でした。そのため卒業はできず留年しました。その時は、ああ、学校にきているんだくらいにしか思っていなかったのです。話しかけられましたが、急いでいるため、またにしてとそっけなく対応しました。それが最後でした。その日の夜、彼は自動車で海に突っ込んで亡くなりました。もっと親身に話を聞いてやれば良かったです。
罪悪感を解消した方法
お通夜に友人達と出席して、彼は父と口論になり、家を飛び出して自殺したと聞きました。やり切れなさと、切なさと命の儚さや、何とも言えない後悔の念に押しつぶされそうでした。英語の先生にこのことを告げました。先生は、それは君のせいではない。今は辛いが、生前の元気だった姿、できれば笑顔を思い出してあげるのが1番の供養になると教えられ、気持ちが楽になりました。毎年、彼が亡くなった日には友人と待ち合わせをして、現場となった海にお参りに行っています。
今も誰にも言えない現実に目の前で起きたイジメ
男性 会社員 加害者となった年齢:15歳
罪悪感あり
体験談
私が加害者の一員になり罪悪感で苦しい経験について状況や感情をお話しします。
あれは私が中学3年生15歳の秋の修学旅行での出来事でした。私が居た学校では、中学3年生で奈良京都に修学旅行に行くのが昔からのイベントでした。私も同様に修学旅行に行きましたが、宿泊の際に特殊学級の生徒も一緒の部屋に泊まることになりました。そしてその夜に忘れられない出来事が起きました。それは一言で言えば、特殊学級の子に対するイジメでした。
私の部屋には私を含めてクラスメイト3人と特殊学級の子の4人で泊まっていましたが、クラスメイト2名が特殊学級の子にイジメをして、私はそれを止めることも出来ず傍観していました。イジメ内容は思い出すと滅入りますが、立場の弱い特殊学級の子を裸にして陰部をいたずらしたりしていました。その時の思いは今も忘れられず、止められなかった自分を永遠に責めることになりました。現実に目の前で起きた悲し過ぎる出来事で、今も誰にも話せずにいます。
罪悪感を解消した方法
罪悪感があったので、その罪悪感を解消した方法としては、情け無いですが、思い出さないことでした。その理由は、思い出すだけで罪悪感が出てきて止められなかった自分を責めて悲しくなるからでした。もうあの時の失態を取り消すことは出来ません。ただ目の前で悲劇が起きた際、常に勇気ある行動を取ることが出来るかと言えば出来ないと私は思います。そんなに神様みたいな人間は、この世には居ません。神様が本当に居たら、この世にイジメや争いや戦争はないはずなのですからね。そんな言い訳をしながら、過去の苦しみを思い出さないように余生を生きているのが今の私と言えます。それが現実なのです。
追突してしまった!事故後の対応で大切なこと。
女性 会社員 加害者となった年齢:41歳
罪悪感あり
体験談
車でバックして路上へ出る時に死角に停止していた車がいて追突してしまった。
警察を呼んで事故処理をしたり、保険屋に連絡をしたりするので1時間ほど時間がかかった。朝の忙しい通勤時間帯に追突して相手の車を傷つけた上に相手の貴重や時間を奪ってしまう事になりとても申し訳なく心苦しかった。事故後はすぐ安全に停車できる所へ誘導し、謝罪とぶつかってしまった部位の確認をしたが、最初はぶつけてしまったという事への動揺の方が大きかったが、相手の方が感情的になることなく穏やかに対応してくれたこともあり次第に罪悪感が大きくなり申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
罪悪感を解消した方法
当日は事故処理と保険屋への連絡、連絡先交換などをして別れたが、改めてお詫びをしたく、次の日にまず電話をした。
修理や身体の治療など誠心誠意対応させて貰うことを伝えて改めて謝罪をした。また、お詫びの品を謝罪の手紙を添えて送った。しばらく後に相手方からも電話をいただき、むしろこちらの心配もしてくれた。改めて謝罪をして、車や身体の状態なども話すことができ、気持ちが伝わったと感じることができたので罪悪感も解消することができた。
万引きをした時の代償
男性 会社員 加害者となった年齢:8歳
罪悪感あり
体験談
小学生の事、近所のコンビニで飴玉を一つ万引きしました。当時私はおこづかいを毎月500円もらっていたのですが、その月は遠足があっておやつを買ってしまったためお金がありませんでした。また、私には4つ上の兄がいて、兄もたまに万引きをしていて捕まったことがなかったため、自分も大丈夫だろうと思い、ついしてしまいました。幸い捕まらなかったのですが、万引きをしたせいで、次コンビニに行ったら捕まるかもしれないと思い、そのコンビニにはしばらく行くことが出ませんでした。
罪悪感を解消した方法
罪悪感はありましたし、完全に解消はできませんでした。ただ、万引きしてしばらくはコンビニに行けませんでしたが、半年くらいしてもう大丈夫なんじゃないかと思い行ってみたら大丈夫だったので、コンビニ行けなくなったという事については時間がある程度解決させてくれたのではないかと思います。万引きしていた兄もその後捕まって学校に呼び出されて親に怒られた話を聞いてさらに罪悪感が増した記憶もあります。兄は万引きしたものをたまに私に分けてくれました。私は万引きしたのはその一回だけでしたが、もし私が何回も万引きすることがあったら兄のように盗んだものを分けたりして罪悪感を解消しようとしてたのかもしれません。
気付けば、ズルズルした状況下
女性 会社員 加害者となった年齢:16歳
罪悪感あり
体験談
中学入学当時に好きな人がいました。特にその人に告白をするつもりもなく、話したりするだけで充分でした。
一年生の3学期、突然わたしの自宅に電話がかかってきました。しかもクラスの違う話したこともない男子からでした。
『〇〇君が△△さん(私)のこと好きなんだっで!付き合ってあげてください!』
わたしも好きでしたが、いきなりのことでわたしは驚いて、しかもふざけている感じだったので断りました。
当時、こういった告白の仕方が流行っていたようでした。連絡手段が今のようになかったので。
私はきっといたずらだったんだと思い、その男子と話さなくなりました。
その後、その男子は私の友人と付き合うようになりました。
それから2年後の中学3年の受験時期、再び自宅に電話がかかってきました。
今度は彼本人からでした。
内容はあの時はごめん、冗談じゃなくて本当に好きだったんだという内容でした。友人たちとの間での罰ゲームで仕方なくやったことだと。
わたしも同じ気持ちだったことを伝えてお互いの誤解は解けました。
わたしはそのことで嬉しい気持ちになり、彼はわたしの友人と付き合っていましたが、わたしへの気持ちがよみがえってしまったようで、定期的に電話したりこっそり一緒に下校したりするようになりました。『浮気』という状態でした。私は気持ちが通じ合って嬉しいという反面、自分の友人を裏切っているんだという罪悪感でいっぱいになり、友人と早く別れてほしいと何度もお願いしましたがなかなか別れてはくれない状態が続き、お互い別々の高校へ上がっても、その関係は続きまた。
そしてある日突然、彼の彼女から連絡が入り関係がバレることになりました。その前に私は彼との関係を終わらせていたのですが、罪悪感と後悔しかありませんでした。同時に彼を憎みました。それ以降、何年も罪悪感で苦しみました。
罪悪感を解消した方法
この件で本当に何年も悩みました。恋愛するたびに蘇る罪悪感。中学共通の友人たちと会うことの苦痛。
別の高校へ進学しても、違う土地にある大学へ進学しても消えることがなかった強い強い罪悪感でした。
こんなにも強い罪悪感を感じるのは、わたしの初めての恋愛だったからだと思います。
この強い罪悪感から解放されたのは成人して社会人になってからでした。
当時流行っていた某SNSで友人を見つけ出し、謝罪のメッセージを送ったのです。返信は期待しませんでしたが、友人はちゃんど返してくれました。
そのメッセージにはわたしのことは許せないけど、自分も結婚してるし子どももいるし、そもそも彼とはもう関係ないと。
はっきりとしたさばさばしたメッセージにすごく心が救われた感覚が今でも覚えています。
故意では無い大怪我をさせてしまった中学生
男性 自営業 加害者となった年齢:15歳
罪悪感あり
体験談
学校の休み時間に友達から腕相撲をやろうと言われたので相手をしたら、その相手の腕(上腕)が真っ二つに折れてしまった。即救急車で病院に行ったところ骨折ということですぐに緊急手術をして、その相手は1ヶ月の長期入院を余儀なくされた。故意では無かったので自分が悪いわけではないが、中学生だったし相手を大怪我させてしまったという罪悪感はその後ずっと付きまとった。退院してその人が運動を開始した時に、骨折するまえよりも運動能力がかなり衰えているところを目の当たりにした時にも大きな罪悪感をおぼえた。
罪悪感を解消した方法
罪悪感を解消する方法はなかったです。時に心無いことを言って来る者もいましたが、やはり「耐える」の1点張りだったと思います。時間が解決するのをひたすら待ったような気がします。時間が経てば次第にその事件のインパクトは薄れてゆきますし、ここはもう時間が解決すると思ってひたすら我慢して、外見上は何事も無いように普通に過ごしていました。もちろん罪悪感は常につきまとっていましたが、あまり辛いことを考えこまないようにしていました。
気づいたら「ひき逃げ犯に」苦悩と解決までの物語
男性 会社員 加害者となった年齢:32歳
罪悪感あり
体験談
バイクで走行中にスマートフォンに夢中になっていた女性が道路に飛び出してきて飛び出してきた女性を跳ねました。女性はすぐに立ち上がりこちらに謝罪をしてきたのですが警察と救急車を呼ぶ旨を伝えたらどうか呼ばないでくださいと懇願されたので、では必ず病院に行って経過を教えてくださいと電話番号を渡して解散したところ、30分後ぐらいに警察からひき逃げ容疑で出頭命令の電話がありました。私はパニックになって警察にいきましたが、完全な加害者扱いで前科がつくことや、現場での事故が実際に起きたことと違う陳述があったことから当たり屋に当たられたことをそこで気づきました。2ヶ月以内に検察から判断がくだるとのことで2ヶ月間飲まず食わずで仕事もろくにできず、家族からも距離を置かれて表情に辛かったです。結果として他の車に証拠映像があり、それに救われて不起訴となったのですが、夜も眠れないくらい悩まされてとても辛い思いをしました。
罪悪感を解消した方法
罪悪感はとても解消できませんでした。ですが、いろんな法律を読み漁って不起訴になる可能性や、弁護士に相談したりして戦う用意をしたので弁護士に大丈夫ですよと言われて安心したのはありました。その後2ヶ月経っても連絡が来なかったのでまさか不起訴になったんじゃないかと思って更に時間が経ちましたが、半年経った頃にはもう不起訴になっただろうと思うようになり自然に気持ちが落ち着いていったと思います。罪悪感は完全に消えませんが、検察の判断が正しかったと納得して解消しています。
あの時はごめんなさい。でもあの後僕をいじめたのは許さない。
男性 会社員 加害者となった年齢:12歳
罪悪感あり
体験談
私の地元は小学校のすぐ隣に中学校があり、中学に上がると皆小学校の同級生しかいないのが当たり前の地域でした。
私が中学に入学した時、両親の都合で他県から引っ越してきた男の子がいました。
その子は1人だけみんなに馴染めずいつも1人で学校に来ていました。
その子と仲良くしたかった私は、親しみやすくなるように、あだ名をつけましたが、そのあだ名が気に入らなかったようで、不登校になってしましました。
その事を担任の先生に告げられた時、罪悪感で満たされました。
罪悪感を解消した方法
その当時は罪悪感は全くありませんでした。
なぜなら、みんなに馴染んで欲しくてあだ名をつけてあげたのに、手助けをしてあげたのに、と自分の気持ちばかりを優先し、相手の気持ちを一切考えることができませんでした。
先生に怒られた時も、なんで自分だけが怒られるんだろう、他のクラスメイトも一緒になってあだ名を呼んでいたのに理不尽だと思っていたからです。
大人になってからは、言葉は凶器であり、自分が無意識に人を傷つけるものだと思い、発言には気をつけています。
真摯な対応は後悔を生まないかも
女性 自営業 加害者となった年齢:21歳
罪悪感あり
体験談
学生時代、夜、バイトの帰り道、車の中で音楽をかけながら、狭い道で車を運転していると、別に眠かった訳でも、よそ見をしていた訳でもないのに、信号は青、横断歩道もない道で左から急に、両手に黒いビニール袋、黒い帽子に黒い服のおばあさんが、車のヘッドライト中に突如現れた。ビックリして急ブレーキをかけたが、ほんの少し間に合わず、車がおばあさんを押すカタチとなり、おばあさんはヘッドライトの向こう側に倒れて消えた。震える手で泣きながら車の前に出ると、おばあさんは「もおー!痛いわねぇ〜」と言って起き上がってきた。泣きながら、おばあさんをお家まで送り、ご家族に、後日また来ることを告げ、謝り、帰宅した。
罪悪感を解消した方法
後日謝りに行った。おばあさんは、家族にあまり優しい対応をしてもらえていない様子が伝わってきた。治療費を払い、示談、となったが、罪悪感があったのは、車にぶつかってしまったことで、おばあさんが、家族に、出歩いた結果、左右も見ずに横断歩道もない道を、黒い服を着て横断し、面倒なことをして、というような空気になってしまい、怒られてしまってとても申し訳ないことをした、と思った。解消方法というならば、後から考えても、自分としては、できる限り真摯な対応をしたつもり、という後悔はない、と、思えたことで、少しでも罪悪感は軽減できた。
本当に申し訳ありませんでした···二度と車を運転しません。
男性 会社員 加害者となった年齢:29歳
罪悪感あり
体験談
29歳の時に私は自家用車を運転中に51歳の男性会社員を路上で轢いてしまい命を奪ってしまいました、当時私は仕事を終えて週末だった事もあり趣味の1つである車でドライブに行こうと思い夕飯を済ませシャワーを浴びた後ドライブに向かいました、もちろん飲酒はしておらず正常な状態で車を運転していましたがドライブの帰り道で通り慣れた片側一車線の自宅から程近い道路で横断歩道を渡っていた51歳の男性会社員を轢いてしまいました、轢いてしまった原因は単純に私の注意不足であり横断歩道を渡っている人や渡ろうとしている人よりも車が優先だと間違った感覚でいた事でした、事故を起こした後に現場に警察や救急隊が到着して警察官から何かしら問いかけられた事は覚えているのですが気持ちが動転していてその後の事は覚えていません、もちろん人を跳ね飛ばし轢いてしまったにも関わらずその時は罪悪感どころかヤバいという自身の身を心配していたというのが正直な状況であり感情でした。
罪悪感を解消した方法
事故を起こした直後は罪悪感は一切ありませんでした、理由は気持ちが動転していて混乱していたからです、しかし時間が徐々に経過していくうちに警察官が自身に問いかけている意味が分かるようになり警察署に連れて行かれ事情聴取を受けている時にやっと罪悪感を感じました、以上の事から事故直後は罪悪感は感じず事故発生から1時間程度後になり罪悪感を感じたのでコチラの質問には何と理由を述べたら良いか分かりません、被害者は事故から約6時間後に亡くなってしまったのですが自身は被害者が亡くなったと警察官から伝えられた時は率直に自殺してお詫びしたいという気持ちになった事を今でも鮮明に覚えています、ちなみに私は取調の後に逮捕され裁判となり交通刑務所に送致され2年間服役しました、運転免許証はもちろん取消処分となり、この出来事以降現在46歳ですが運転免許は取得せず車とは一切縁を切りひっそりと懺悔の気持ちを忘れずに日々暮らしています。
人の痛みがわかるということ
男性 会社員 加害者となった年齢:13歳
罪悪感あり
体験談
中学生1年の時に他の小学校4校がバラバラで集まってクラスが6組あった。自分のクラスは知り合いもまぁまぁいて自分的にはいい環境だと思っていた。小学校卒業前ごろから知っていた隣の小学校のいじめられっこ?いじられやすい子が同じクラスだった。小学校の時からいじめられていたことは知っており、案の定同じクラスでも浮いておりいじめられていた。自分は他の目もあるしいじめの加害者になりいじめていたが、そのいじめられっ子とはその子の家で2人きりでゲームで遊んだこともあるし、そこまで悪いやつではないと思っていたが周りがいじめていたのでその子をほとんど裏切る形でいじめの加害者になっていた。今思えば当時の自分は罪悪感があり苦しんでいたと思う。
罪悪感を解消した方法
罪悪感は解消していなかったと思う。中学2年の時は自分がいじめられていた。中学1年の時の素行は関係ないと思うがその子の気持ちは自分でも痛いほどわかり、こんな気持ちになるんだ、誰も助けてくれないんだ、と罪悪感が罪悪感で覆い被さり当時の自分は暗闇の中だったと思う。中学生2年ごろから中学卒業までの記憶はほとんどない。人の痛みがわかるということがどういうことか、身をもって経験したし、環境や周りがそうしているからって流されず自分が思った方向に進んでいこうと誓っていたはずだ。
罪悪感は自分を変えるチャンス
男性 会社員 加害者となった年齢:28歳
罪悪感あり
体験談
私が盗撮で捕まってしまった時の話です。その当時、私は盗撮を繰り返しており、その日も近くの書店で盗撮を行っていたのですが、書店を出た時に警察官が待ち構えており呼び止められました。お店の防犯カメラを見た店員が通報したみたいです。そのまま連行され写真を確認され捜査や事情聴取を受けました。そこで警察官から被害者がどれだけ嫌な思いしているか、盗撮は最低な行為だと叱られ、親にも連絡されました。親やとても怒り、悲しみ、がっかりしていました。それを見て自分が傷つくだけでなく、被害者や親などを傷つけてしまったと自分は最低な人間だと罪悪感を感じました。
罪悪感を解消した方法
罪悪感があり悩んでいましたが、やってしまった事は今さらどうしょうもない、自分が今できる事は精一杯反省する事だと気持ちを切り替えました。それからは被害者の方へ謝罪文を書き、誠心誠意お詫びをしました。また親にも精一杯謝罪をしました。わずかですが気持ちを文や言葉にする事で心が楽になる感覚がありました。また、ふとした瞬間に事件の事を思い出し落ち込んでしまうので、そんな事を思い出す暇が無いほど仕事に打ち込みました。罪悪感は完全に消える事がないですが、自分の行動を見せて少しでも親が喜んでくれる姿を見るのが生きがいです。
昔の発言を謝罪したほうがいい。
男性 自営業 加害者となった年齢:15歳
罪悪感あり
体験談
当時は冗談のつもりだったのですが、相手の顔についてかなりひどいことを言ってしまった事があります。
元々かなりの親友だったのですが、今思い返すと申し訳なくなり、謝罪しにいきました。
中学生の頃の私はまだ善悪の判断よりもその場が面白くなるか、盛り上がれるかを重視していましたので、よく考えず、咄嗟に言ってしまったのだと思います。
その親友とは今は和解できているので大丈夫なのですが、今でも罪悪感でいっぱいです。
罪悪感を解消した方法
久しぶりに友達にあって当時の出来事を謝罪しにいきました。すると、親友は全然気にしていなかったらしく、和解する事ができました。
私は親友がかなり気にしていると思っていましので、謝罪するまで罪悪感でいっぱいでしたが、かなり解消されました。
その後はまた仲良く遊ぶ仲になれ、よくドライブにもいくようになりましたのでよかったです。
今は当時の事で罪悪感を感じていたりはまったくありません。完全に罪悪感が解消されました。
なぜいじめ加害者は名乗り出ないのか
男性 会社員 加害者となった年齢:43歳
罪悪感あり
体験談
中学1年生の1学期にいじめの加害者になりました。被害者はクラスメイトで基本的に無口な男子でした。彼は小学6年生の3学期に関東から転校してきたらしく、標準語でした(我々は関西圏です)。彼はなかなか馴染めない様子でした。
ある時、彼が便を漏らす事案がありました。そこからいじめが始まり、自然と私も参加していました。どんどんエスカレートし、シャーペンの芯を盗んだり、殴りかかったこともあります。彼は必死に抵抗していました。殴り返す、睨み返すこともありました。
私の感情としては彼には何をやってもいいという恐ろしい大衆心理でした。
私は1学期で転校し、以降彼との絡みはありません。大人になり年を取るにつれて彼に謝罪したい気持ちが強くなっています。身勝手な要望ですが、もしも会えるなら土下座し、気の済むまで殴られたいと考えています。しかしそんなことでは罪滅ぼしはできないことも分かっています。
いじめ加害者は自身の愚行について積極的に口を開きません。体育会系のしごきと似てはいます。しごかれたことは話しても、しごいたことを話す人はいません。罪を恥じているからです。極めて情けなく、弱い存在であると思います。
罪悪感を解消した方法
はじめは些細な事でした。からかいから始まったと思います。便失禁でからかわれるのは中学生男子にとって屈辱以外の何物でもないでしょう。その感情は一切理解しようとせず、日増しにエスカレートしていきました。いじめに加わる人数も増えていきました。
多数対1という構図が出来上がり、多数派にいる私は間違えた心強さがありました。新しい内容のいじめを行うと周囲は盛り上がります。賞賛を受けたと勘違いし、それが「楽しい」というおぞましい感情がありました。そこには罪悪感はありませんでした。
まとめ:加害者として罪悪感に苦しい体験があっても大丈夫
この記事を読んだあなたは、罪悪感に苛まれているかもしれません。
しかし、体験談を読んでもらってわかる通り、罪悪感があった人でも解消してその後の人生を歩んでいる人がほとんどです。
根本的に罪悪感を解消する方法は、このサイトでも複数紹介しているので、ぜひ読んであなたの未来を明るいものにしてください。